diary 9/21-
summit climbing and after

雪のbase camp

9/21/2013 6:27 @ Base camp 個人テント



最終アタックに出発する朝。晴れている。テントの壁がまぶしい。室温は2℃。これから、温度が上がっていくだろう。
良く寝れた。SPO2は、88%/52bpm。体調は充分だ。
今晩の食材として、ネパールの白米とゆで卵を準備してもらった。

クランポンポイント

9/21/2013 18:30 @ C1 テント


C1へのアプローチ
14時に Base campを出発して、18時にC1についた。C1は軽く雪が降っていて寒い。
C1でテントを共有している鈴木君は、今晩は隊の荷物をデポしてある大きなテントで寝ることにしたので、このC1では一人の泊りとなる。
レトルトのチキンカレーを温めて、夕飯はまたスープカレーにした。缶詰のオイルサーディンを開けて、少しリッチにする。今後、更に高地のキャンプになると、ここまで食料をお腹に詰め込むわけにいかなくなるだろう。


C1のテントは床下の雪が溶け始めていた。テントの床の真ん中が盛り上がり、そのまわりが全体的に窪んでいる。結果として、テントの真ん中に串刺しになって、寝る。そして、どういう向きで寝ても、端に転がり落ちるようになっていた。
どうせ一晩だと、雪をならしたりせずにそのまま寝てしまった。だが、その晩は何度もおきては、寝袋に入ったまま芋虫のようにテントの真ん中へずり上がり、また寝てはずり落ちることを繰り返した。その次の日は、寝不足気味となった。

c2へのアプローチ

9/22/2013 17:19 @ C2 テント


梯子を登る

C1を7:30に出発して、ゆっくり7時間かけてC2まで上がってきた。途中の日だまりで昼寝も十分することができた。寝不足の解消だ。
C2ではテントは、倉岡さんと共有をする。夕飯は赤飯と味噌汁。倉岡さんが持ってきた冷ややっこにネギやニンニクの薬味を添えて食べた。この豆腐はすぐれものだ。少々重いが、常温で保存できるし、とてもおいしい。そしてとどめに牛肉の煮込みの缶詰を開ける。大勝利のめしとなった。


しかしここにきて、腹が弱ってきたようだ。下腹がぐるぐるいっており、下痢気味の感じがある。そこで、外に出て、田村さんと一緒にC2のトレイを作る。テントの近くの坂に、平らな土地を作り、その周りの囲いを作った。できあがると、一番乗りで早速シットバックを持ってそのトイレに行く。やはり便はかなり柔らかい。
この遠征にきて初めて薬を飲むことにした。正露丸を4錠。様子をみる。

9/22/2013 22:00 @ C2 テント



夜中に目が覚める。寝る前にお湯をいれておいたMSRの水筒はまだ暖かい。その湯たんぽを使って、お腹を暖めておいた。
おならがでる。お腹の調子はだんだん良くなってきたようだ。
24時、3時と何回か目が覚めた。

c2テント



9/23/2013 6:30 @ C2 テント



6時に起きると、残りの赤飯をお茶漬けにする。倉岡さんが豆腐を鍋に入れ、薬味を刻んで、湯豆腐を作った。なかなかいい感じの朝飯じゃないか。
予定通り天気は上々だ。

c3へのアプローチ
7:30にC2を出て、14:30にC3についた。ゆっくりアプローチを続けている。
着いてすぐミルクティーを飲む。SPO2は65%/85bpm。あまりいい数字とは
いえない。意識して呼吸をすると88%/80bpmになった。

9/23/2013 18:30 @ C3 テント



C3テントに入り、倉岡さんは読書をしており、私はiphoneでスピッツを聞いていた。
やることもないのでリラックスの時間である。
明日は5時起きであり、C3にデポしていたダウンスーツをきて、C4にあがる。酸素や荷物、ダウンスーツを含めて荷物は最も重くなり、体力的には一番厳しい日となるだろう。試験の日でもある。
夕飯は、そばどんべえの1/2。早めに寝た。

down suit
(ダウンスーツと高所靴をつけて-25日)



9/24/2013 16:00 @ C4 テント



C4までの道のり。ノースコルから続く長い長い急峻な坂を登る。この高度にして300mの坂は前回も来た。前回C3に泊ったときにハービーは、この坂をエンドレスの坂と名付けた。私は今回体調も悪くなく、この坂を順調に登ることができた。
そしてこの坂を登りきり、左手に迂回をする。すると、ブルーアイスが地肌に見える更に急峻な坂を登ることになる。この、長いブルーアイスの坂もなんとか力技で登ることができた。もっとも、こちらは息切れの坂と名付けてもいいのではと思う。


C4についてテントに寝転がった。ダウンスーツを着ているので。どこに寝てもふかふかの布団にいるようだ。
驚いたことに、今日、ハービーはC4 への登りの時に酸素を使ったそうだ。急に調子が悪くなったのだろうか。ロブとハービーが止めたので、無酸素で挑戦しているのは私だけになった。


Radioで、Base campにいるラッセルが明日の登頂の指示を出してきた。午前中は快晴で、午後から悪くなるようだ。通常、朝5時ごろ出発するのを、3時まで繰り上げて早出にするようにということだ。
そして、驚いたことに、ラッセルは無酸素登頂について、中止をするように指示を出してきた。無酸素登頂でペースが遅れると、明日の天気ではリスクがあるからという理由だ。無酸素登頂は隊の目的ではないとも言っていた。


無線通信が終わると、ガイドの三人が私のところに集まってきた。彼らも困った感じだった。今更ながらの指示だが、隊としての指示だ。
公募登山隊なので、何をしても最後は自分の責任ではあるが、ここまでチームとしてやってきている中で、要請を振り切るのはチームとしてどうかと思った。チームとしての関係と信頼をこわすことになる。
わずかの間に、いろいろなことを考えた。順応の間、ゆっくりと歩いていたが、もっと早いスピードで歩いて、強烈なアピールをすべきであったか。それとも、今回は、登頂に関連するどんなリスクも排除することにしたから、そんなことに意味はなかったのか。
体調は悪くない。無酸素で行ける自信はあった。でも、やめることにした。


しょうがない。酸素を吸うなら、明日はトップで登頂し、最初にC4に戻ってくることにした。そのことに特に意味はないが、なにもしないのでは腹の虫がおさまらない。


C4、7400m。どうせ酸素を吸うなら、早くから吸って体調を整え、明日の登頂の備えた方がいい。C3-C4の坂を背負ってきたボンベを取り出し、2L/mのペースで吸い出した。

ヒマラヤを背負って



9/25/2013 3:00 @ C4 テント


夜の出発
3時出発のために1時に起きようとしていたが、1:45に倉岡さんに起こされた。寝坊だ。酸素でぐっすり寝ていたせいだろうか。急いで支度をしたが、隊の真ん中位からの順番での出発となった。
この日の登頂はシェルパのニマ・ツェリングと組んで歩く。エベレストにも4回登っている強いシェルパだ。酸素も4L/mに設定して、十分すぎる量だ。最初から飛ばして歩き、直ぐに3番手まで上がってきた。


ハービーは出がけにごたごたがあった。酸素ボンベのレギュレーターが見つからないのだ。あんなものなくなるはずがないのだが、鉄火場ではなんでも起こる。戻ってきてから探すと寝袋の中にあったのだが、このときはガイドの田村さんが予備のレギュレーターを持っていたのでなんとかなった。ところがその後ハービーは、スパッツをつけずに、アイゼンを履いてしまった。焦っているのだ。そして自分の失敗に切れたハービーはふてくされてテントにこもってしまった。幼稚園生のように面倒くさいことをする。
結局、ハービーはしばらくするとテントから出てきて、出発したそうだ。


最終アタックのルートは、比較的平らな棚と、横幅は広いが急峻な坂が交互に連なる稜線を登っていく。最後の穂先までは特別に危険な場所はない。しかし、今年最初の登頂のため、雪の状態は出たとこ勝負だ。
そして思っていたより、ルートには雪が多いようだった。ところどころにある深い雪と崩れる雪で、先頭を歩くシェルパもペースが上がらないようだ。
私はリードするシェルパのすぐ後ろで、メンバーの先頭を歩いていた。


明るくなり時間も6時半になると、残りの酸素が気になりだした。4L/mで目安は4時間。後、30分だ。もう一本タンクはあるが、全体として足りるのだろうか。酸素は高所の途中で切れるのが一番良くない。
6:45にタンクチェンジポイントについて、タンクを交換した。タンクはほぼ空だ。水分も補給して出発した。

頂上へのアプローチ
そこから30-40分も上がると、最後のアプローチになった。シェルパはロープで確保して登り、Fixed Ropeを固定するのに時間がかかる。私はシェルパのすぐ後ろで、少しづつ進む工作を見ていた。







頂上にて
この日、私の登頂は8:08分。メンバーとしては最初であった。最高に晴れあがって、頂上にたつとプルバ・シェルパが写真をとってくれた。予定通り、バカヤローと叫んで早々に降りた。5m くらい下ったところでガイドのブルースが持っているRadioでラッセルと話す。Congratulation!。お決まりの表現だが、やはり気持ちがいい。


この日は我々Himex隊は、ハービーも含めて一人も落後者を出さずに、この頂上までくることができた。これは素晴らしい成果だと思う。
頂上へと続く細い道に、私の後に登る12人のメンバーと、ほぼ同数のシェルパ、ガイドが長く連なっていた。ここをすれ違うと今度は、我々の隊の兄弟隊のようにくっついてきたAltitude Jankeys隊や、シェルパ同士が同郷の日本人の菊池さんの隊や、そのほかこの日に合わせてきた大小3-4隊が連なっていた。今日は今年最初の登頂日で、シェルパも含めて40-50人は登頂したのではないだろうか。


ニマとしっしょに、下りは快調に飛ばして行った。我々が最初の登頂なので、すれ違う登山者とは、congratulationとThank youといった挨拶が続いた。この挨拶は実に気持ちがいい。ハッピーハッピーだ。中には、頂上まで後、どの位だと聞いてきた軟弱者もいた。

途中エアタンクチェンジポイントのあたりで、以前、C3であったスロバキア人達とすれ違った。とても疲れているようだった。


このスロバキア人の二人組の一人は、この日とうとう下山できず、相棒から死んだという話があった。この話をBase campで聞いたときに、あのC3で心配した肺気腫だったのだろうかと考えた。
しかし、この翌々日に要請を受けたヘリコプターがC3の付近まで死体回収に向かったところ、なんとテントで生きていたそうだ。人騒がせだが、なんにせよよかった。





登頂ビデオ


下山ビデオ

c4からの下り



9/25/2013 10:00 @ C4 テント



予定通り、C4へは一番乗りで帰還した。Radioの交信では、まだ登頂の順番待ちの騒ぎが続いていた。ラッセルにC4に戻ったと報告し、この日の目標は完遂。無酸素の話は忘れて、後はゆっくりBase campまで戻ればいい。
しばらくC4で休んで、皆がC4に着いてから下ることにした。


しかし、ぼーっとしていたら、皆は順番にC4まで来て、そこから降りて行っていってしまった。
出遅れである。でもまあ、気楽なものだ。
C4からC3は大下りである。Fixed Ropeを継いで距離にしたら500m位は懸垂下降を続けるだろうか。一緒に下ろうと、鈴木さんが途中で待っていた。天気はいいが、この懸垂下降は同じ姿勢で疲れる下りだ。

c2からの下り
C3につくと直ぐ、C2手前でスノーブリッジが崩れて、AJ隊が何人か落っこちたというニュースが入ってきた。あまり切迫した感じはなかった。C3でしばらく休んでから、また下り始める。
スノーブリッジのニュースを聞いてから時間が立っていたが、C2手前では、まだ道の復旧がしていなかった。何人も座り込んで復旧を待っており、少し前に降りた倉岡さんが、ロープでルート工作をしていた。
AJ隊でクレバスに落っこちたのはなんと隊長のフィルだった。いつも話題が絶えない人だ。怪我もないようで、我々のまわりを不機嫌そうにうろうろ歩いていた。
数日後のパーティーで彼に話を聞いてみると、昨年は雪崩で今年はクレバスに落ちるとはついてないよと文句を言っていた。彼は常に文句を言っているようだ。


スノーブリッジ崩壊の現場についてから30分くらいして、ルート工作が終わった。ロープで確保しながら3m 程度懸垂で降り、そこから登るルートが確保された。そこから皆が列になり、順番に懸垂で降りて行った。結局一時間弱そこにいただろうか。

クレパス


結局この日は、午後になっても天気が崩れなかった。照りつける太陽の中、キャンプを下るごとに気温が上がってきた。

既に最初に持っていった水はなくなり、途中から雪を水筒に足して水を作った。私はShortz Extraを水に溶かして飲み物にしている。この日だけでタブレット5個分の2.5LのShortz Extraを飲んだ。

スノーブリッジ


C1では、ドクターニマがお湯を沸かして待っていた。プリングルスをつまんでお湯を飲む。疲れもあり、暖かいテントはそのまま泊まりたいくらい魅力的だったが、時間も遅くなってきたので、誘惑を振り切って降りてきた。


ゆっくり歩いていたのもあり、クランボンポイントからは真っ暗になり、Base campには19時過ぎについた。食堂に直行して、皆と一緒にお祝いのエベレストビールを3本飲んだ。そのまま食堂の椅子で寝てしまった。
しばらく寝ていたようだが、アンディーに起こされテントへ移動すると、今度はそのままダウンスーツで寝てしまった。
夜中にのどが強烈に乾いて起きたが、水筒に水はない。そこで真っ暗な食堂テントに忍び込むと、ポットにお湯が入っていた。キッチンさん、有難う。

ニマと



9/26/2013 17:00 @ Base camp テント前広場



登頂ボーナスは隊で共通で出すことになっている。ラッセルの提案で、シェルパとキッチンを合わせて$350にした。
それとは別に、私の備品から、ニマ・ツェリング・シェルパに少し分けることにした。
Black diamond の折りたたみストックとマウンテンイクイップメントのテントシューズ。
どちらも悪いものではないが、サイズが少し大きいので買い替えることにして、大きなニマにあげることにした。
彼は英語がそれほど得意ではなく、またシャイなのであまり反応がわからなかったが、後で鈴木さんから、彼がシェルパテントで喜んでいる様子が聞こえてきた。

シェルパ軍団



9/26/2013 22:37 @ Base camp 食堂テント


アンディーとアンディー
この日は18:30から登頂パーティーだ。食堂のテーブル椅子を片付けて、立食で、シャンパン、ビール、ウィスキー、ワインは飲み放題となっている。AJ隊や近くの登頂を終えた隊からも、いろいろなメンバーが顔を出した。



ラッセルとラッセル
シェルパは早くからシェルパダンスを披露した、列になって肩を組み、民謡のような独特のふしで、ステップを踏む。我々ジャパニーズは阿波踊りを英語の説明つきで踊った。なかなかうけたと思う。
イギリスのアーミーは歌を歌った。順番に小道具もつかわず出し物を続けていく。まるでキャンプファイアーのようだ。
ヤンジーとヤンジー


21時を過ぎるとシェルパダンスが止まらなくなった。一曲終わると直ぐに次の歌になり、最初こそ列を組んでいるが、途中からはっちゃけダンスになってしまう。実に激しい運動だ。
酒とダンスと高所の酔いで苦しくなってきた。隣のキッチンテントでお茶を飲むと、そのままテントに戻った。

22:30。まだシェルパダンスは続いている。周りの隊にもよく聞こえているだろう。まだ登頂していない隊にはプレシャーかもしれない。私は直ぐ寝たが、シェルパ達はこの日、12時前まで踊っていたそうだ。

記念写真



9/27/2013 6:05 @ Base camp 個人テント



昨日は飲み過ぎた。のどが乾くというより息苦しく、腹式呼吸で何度も息を整えた。
SPO2を測ると83%/57bpm。少し呼吸を整えると90%/47bpm。順応が更に進んでいるようだ。もう無駄ではあるが。

バレルをつくる
今日はBase campから別送になるバレルを作る。30kgが目標だが私は26kgになった。テント等、隊の他の荷物を少し入れて重さを増やし、ふたをした。
他には特に何もすることがない。のんびりした日だ。





ヘリ
今日、何人かのメンバーが一足先に、キャンプから直接ヘリでカトマンズへ移動する。
カトマンズへの移動は、陸路を行くバレルが一番時間がかかるので、体だけカトマンズへ早く行ってもしょうがないと思い、私は元々のスケジュール通りに移動することとした。明日、サマ村へ降りて、明後日、ヘリでカトマンズへ移動する。
今後はこのように少しづつメンバーが減っていくのだろう。皆が集まれるのも今日が最後か。今日はよく晴れて、集合写真日和となった。


朝飯時にラッセルは、今年マナスルに来た隊は、大小合わせて24隊位で、そのうち4-5隊が先日登れて、4-5隊は既に敗退。残りは14隊位だと言っていた。次の登頂チャンスは10/2-5のあたりとも言っていた。
我々は明日サマ村に降りて明後日はカトマンズに移動だ。他の隊の登頂結果は遠くで聞くことになるだろう。

菊池さんと食事



9/27/2013 22:10 @ Base camp 菊池隊テント



この日の夕食は、Himex隊の日本人が、我々と同じ日に登頂した菊池ガイドにお呼ばれして、日本食ディナーだ。
我々の隊と菊池さんの隊のメンバーの他には、菊池さんと同郷の大城先生も参加した。
おでん、なすの天ぷら、カレー、ちらしずしと、驚くほど日本食で豪華な食事だったが、また話も盛り上がった。
高所用の薬とシアリスの話し、各国のトイレ事情と女性の立ちション、マナスルコーラ事件と神のからす事件等、最後の夜をしめるのに相応しい楽しい話だった。
そして遅くなってから、霧雨が降り出した。

雪のベースキャンプ



9/28/2013 6:25 @ Base camp 個人テント



霧雨は夜の内に雪にかわり、テントにつもっていた。この雪が落ち着くころに、またアタック日和になるのだろうか。


サマ村への下り


朝飯を食べると早々に、サマ村への道を下った。雪で滑りやすい道だったが、すでにストックはニマにあげてしまったので、慎重におりていく。この遠征で一番慎重に降りたかもしれない。
途中から雪が消え、道が太くなり、快適なトレッキングとなった。