Diary of 9/2-
Base camp acclimation

Base campの個人テント

9/2/2013 15:25 @ Base camp 個人テント



Manaslu 登山のBase campは、近くのサマ村から5時間程かけて登った谷間にある。私が参加しているHimex隊は、毎回このBase campに一番乗りをして、テントを張るのに最もいい場所を確保するのが習わしのようだ。我々がサマ村に滞在している時から、何人かのシェルパが先行して場所取りを兼ねたテント設営を始めていた。
この数週間後には、20隊以上に膨れ上がる登山隊だが、我々が着いたこの日にはまだ、我々の隊の他には、別の数隊が張ったいくつかのテントがあるだけだった。これも場所の確保用だろう。


Nepalには探検/Expeditionという入国Visa がある。Treckingのように短期で済む場合と違って、ヒマラヤの登山では、この90日のVisaが必要となる。と言っても、入国時に空港で、$100の金額を払えば誰でも手に入れられるようだ。私も6日程前にこのVisaの手続きをして、カトマンズに入国をした。

ヘリコプター
そして隊に合流し、8/29にヘリコプターでサマ村へ移動し、高度馴化の為に、サマ村の近くへ何回かハイキングを行ってきた。サマ村は高度3500mであり、富士山の頂上のような高さだ。サマ村では、海抜0mの地上と比べると空気の濃度は約2/3弱になる。高山病の原因は薄い酸素からきていると言われているが、この3000-4000m の馴化はもっとも大事な高度だと思う。ここをうまくやり過ごすと、5000m や6000mの馴化は比較的対処しやすい。もっとも、私は7000m や8000m の高さは経験したことがないので、それ以上はなんとも言えないが。


ManasluのBase camp は、4800mである。ヒマラヤのBase camp としては、標準的な高さではなかろうか。エベレストの南東稜では5300m、チョモランマでは5200m、マカルーも4800m。
チョオユーのABCは5700mという物資の運搬には恵まれた条件となっているが、これは例外だろう。ちなみに、Manaslu base campの4800mの高度では空気の濃度は約1/2となる。サマ村より一段と薄い。

ポーターとロバ
この日は、朝、8:45にサマ村を出発。ポーターやロバとヤクに積まれた荷物とともに移動し、13:45にBase campに着いた。他の日本人のメンバーとともにおしゃべりをしながらの登山である。この日、一日の内に上げる高度として、1400mは大きな数字であり、順応のためにゆっくりしたペースで登る予定であったが、結果として、100m/20分という健脚の人のペースになっていた。


外人のメンバーは我々以上に頑張ったペースで歩き、先にBase Camp に着いていた。
我々がこの先住むテントはすでにシェルパにより張られており、先に着いたものから好きなテントを選んでいた。私は出遅れて残り物のテントとなってしまった。隊の北側を流れる小川に最も近いのテント。大雨が降って川が溢れたら、最初に水没しそうである。

この時は、小川の横に迂回路を掘って、テントの水没を防ごうと考えたが、2-3日観察すると雨が降っても水量が殆ど変わらないようだったので、この土木工事はやめることにした。実際、この後雨が降っても、雪が解けても、キャンプの最後まで、この小川の水量は殆ど変わらなかった。


Base camp は午後から霧雨となった。MasnasluのBase campは雨が多いとは聞いていたが、早速だ。
着いて直ぐに、食堂テントでランチをとる。ウドンのようなヌードルとポテトフライに、ネパールの辛いソースを混ぜて食べた。料理人はネパール人だが、結構いける味だ。Himex の飯は豪華だから、しっかり食べていると太るよと、アルプスで言っていたHガイドの顔が目に浮かんだ。しかし食べたい時に食べられるのは有難い。食べる量を調節するのは、自分の意思でできるはずだから。


その後、ゆっくりお茶を飲んだ。ティーバックのダージリン。このベースキャンプでは、その後も、最も沢山飲んだお茶だ。
一息ついたところで、Himex隊の隊長のラッセルが、Base campの設備を説明した。トイレテントはもちろんあるが、なんとガス湯沸かし器によるシャワー付きだ。このシャワー付きという点は、他の隊にはないHimex 隊の特徴のひとつだ。
この設備は登山の観点から見るとあまり本質的な差ではないかもしれないが、調理の衛生面に気を配り、手洗いや殺菌の器具を配備し、シャワーを励行するのは、隊として筋が通った行動だと思う。


その後は、自分のテントにもぐりこみ、荷物の整理をした。カトマンズから樽(バレル)につめて送った荷物はまだ届いていない。バレルの中身は殆ど、ピッケルやアイゼンといった登攀に使うものだが、一部着替えも入っている。そして今は、ダッフルバックとバックパックで運んだ荷物で、この数日を過ごすことになる。

個人テントの内部

9/2/2013 17:27 @ Base camp 個人テント



隊の設備としてテントには薄いマットが縦長に二枚敷いてあり、その上に半分だけマットレスが置いてある。雪のないManaslu のBase campではこれに持参した羽毛の寝袋を組み合わせて十分暖かくすごす事ができた。日が差している昼間は、マットレスの上に寝転んで、音楽を聞いたり、Kindleを読んだりする。寒くなってくると、寝袋を出したり、薄手の羽毛服を着込んだりといった具合で調整ができる。


テントでの荷物の整理は大して時間もかからない。寝転がっていると、外からボールをたたく音と掛け声が聞こえてきた。テントの入り口を開けて外を覗くと、いつの間にか食堂テントの前にネットが張られて、シェルパがバレーボールを始めていた。4800mに移動して初日からこの元気である。私は、また寝転がってKindle を読み出した。
ふと思いついてSPO2を測ると73% だった。体の調子も悪くないし、まずまずだと思う。

キッチンテント

9/3/2013 07:32 @ Base camp 個人テント



夜から降り始めた雨がまだ続いていた。
このBase camp の朝は、一枚のホットタオルから始まる。おしぼりサービスだ。毎朝7:00にキッチンと呼ばれている料理人のスタッフが各テントまでおしぼりを配る。その後、直ぐに暖かいミルクティーが配られる。リクエストをすると、ブラックティーにも変えてくれるようだが、皆、デフォルトで配られるミルクティーでいいようだ。少し薄めで砂糖が入ったミルクティーは朝の一杯としてよく馴染んでいた。


私は今年に入ってこのManasluも含めて高所登山が続いているが、その前に山岳ガイドのEさんから、高所をやるならビタミン剤をサプリとして取っておきなさいとアドバイスを頂いた。それもあって、今回、ビタミン剤と植物酵素等、数種類のサプリを持ってきていたが、この朝のタイミングでミルクティーとともにとることにした。サプリなんてものは、生活習慣にしないと、直ぐ忘れてしまう。


寝起きに直ぐSPO2を測る。寝起きで72%、しばらく経つと80%にあがった。少し意識的に呼吸をすると更に90%まであがる。視野も狭くない、頭もすっきり、お腹も平気だ。少しおならが多い程度だ。とりあえずOKということで。


朝飯は、毎朝8時からである。まず、大きなポットに入ったコーヒーとホットミルクをカップで混ぜて、カフェオレを作って、料理を待つ。カリカリのトースト、薄い卵焼き、太いソーセージ、豆煮が標準の朝飯プレートだ。
だが、その料理の前にオートミールが配られる。いわゆる甘いおかゆだ。このオートミールは、私の数少ない苦手な料理のひとつだ。しかしながら、このHimex 隊のオートミールは、今まで食べたオートミールの中では最高の分類に入れてもいいくらいの良いできだった。いわゆる米の食感がきれいに消えており、はちみつをいれると、とろりとしたクリームのようであり、のこさず食べることができたのだ。
結局、このキャンプを通じて、この朝ともう一回、オートミールを残さず食べたが、それ以降は、食べるのをやめた。どちらかというと、糖分の取りすぎが気になったし、オートミールとしてはいいできだったが、他の料理はもっと魅力的だったからだ。

食堂テント

9/3/2013 16:00 @ Base camp 食堂テント



今回、日本人の登山メンバーは私の他に4人参加している。他にはイギリスを中心に8人のメンバーがいる。メンバーとは別に、3人いるガイドの内、日本人が2人で、ニュージーランド人が一人。そして隊長のラッセルはニュージーランド人だ。
現地の人間としては、12人のシェルパ、キッチン等のスタッフが4人、ドクター等、大所帯だ。今回のManaslu campでHimex は最大の隊だと思う。


雨はいつまでもやまなかった。日本人のグループで午前中からはじめたトランプは、昼飯をはさんでまだ続いていた。手持無沙汰の中、知らない人が仲良くなる方法として、ババ抜きは優秀なゲームだ。単純であり、スリルがある。そしてなにより、コミュニケーション性が求められる。実際、ババを引かせる工夫や引いたときの反応を楽しむゲームなんだと気付いた。ここに外人が入って片言のコミュニケーション量になると、あまり面白くなくなる。

ババ抜きもあきて、ゲームは7並べに移り、そして大貧民になった。これは、終わらないゲームだ。すでにトランプをこの日6時間もぶっ続けで行っている。食堂テントでは、プリングルスもチョコレートもお茶も食べ放題、飲み放題なので、このゲームはいつまでも止まらない。


外人組もトランプを始めた。きっちり点数を書きながら行っている。そう、本来、ブリッジ等の大人のトランプゲームは、チップと切り離せないものだ。賭けの要素があって、いつまでも熱中できるゲームとなる。残念ながら、チップがないので、ブラックジャックもポーカーも十分楽しめない。次の機会があるなら軽いチップも持っていきたいところだ。
その点、大貧民は賭けの要素もないのに、いつまでもできるというすごいゲームだ。トランプの時間つぶしという点では日本人の圧勝だ。


私の個人テントとバレル
午後5時になると、Base campにバレルが届いた。カトマンズからはるばる陸路で8日間かかったことになる。本当は後2日間かかる予定だったのが、急ぎで来たらしい。さっそく各自はバレルを受け取り、テントに戻って整理を始めた。私のバレルには、登攀用具の他に、暖かいダウンや充電池が入っており、不便をしていたが、これで快適になる。

けぶるテント

9/4/2013 7:17 @ Base camp 個人テント



長い間、降り続いた雨が上がった。早速、干しものに取り掛かる。
実際に日が照ると、テントの内部は急激に温度が上がり、たいていのものはそこでも乾いてしまう。それでも、太陽に当てたいものは外に出して、日にあてる。温度が低い時には、気休め程度しか乾かないが。
オーストラリア人のグレッグはこの地味な作業をもくもくと行っていた。寝袋をバレーボールコートのネットにぶら下げ、テントのマットを引っ張り出し、地面にひいて、荷物を載せる。高所靴やダウンスーツ等、気になるものをテントの上にのせる。
グレッグは、この後、わずかな晴れ間でも、しつこいくらいに丁寧に出し入れを行っていた。これだけの人数がいればいろんな人がいる。神経質なのかと思ったが、しつけがよかったんだろうと考え直した。細かいことは気にせず、ポジティブにとらえていった方がチームはうまくいく。


朝飯後にRadio と呼ばれるものが配られた。いわゆる無線通信機だ。小学生のころ遊んだトランシーバーをイメージすればいいと思う。我々は各ハイキャンプに到達すると、ベースキャンプに到着の連絡をするために使う。ベースキャンプには隊長のラッセルが陣取っている。シェルパ達は状況を伝えたり、指示を仰いだり、いろいろ使うが、我々は到着連絡以外ではあまり使わず、緊急用の意味あいが強い。
ややこしいことに、このRadio の他にトランシーバーと呼ばれるものも配られた。これは日本ではスノービーコンと呼ばれているものだ。

テントとソーラーパネル

9/4/2013 19:33 @ Base camp 食堂テント



この日は、太陽電池から充電を行い、シャワーを浴びて、髭もそった。たまっていた宿題を片付けたような気分だ。ただ、Himexの隊の太陽電池は強力なので、個人で持ってきたパネルは要らないかもしれない。

エベレストBCと違い、マナスルのBase camp は携帯の電波が入らない。だからNcellのSIM card はもってこなかった。ただ何人かのメンバーは衛星電話を持ってきていた。イリジウムやスラーヤだ。
隊は、インマルサットのBGANだった。そのインマルサットを使い、衛星電話経由のメールアドレスが隊で用意してあった。一応、緊急用ということで、それを東京の自宅に教えてあった。
そして、この日、2通の短いメールがあった。元気?とか、そういう簡単な内容だ。
この衛星メールは一通5ドルかかるので、10ドルのメールとなる。緊急でなければ、まとめてメールをするように返信をした。


夕食はオージービーフのステーキがシズラーで出た。いわゆる鉄板皿でジュージューである。肉はとても柔らかく、またおかわりをしてしまった。