岩越え
ブロードピーク高所キャンプの標高
BPBC 4,800m
BPC1 5,660m
BPC2 6,185m
BPC3 7.000m
トレッキング・キャンプの標高
アスコーレ/Askolee 3,055m ★☆
ジョラ/Jhola 3,189m ★
スカムツォク/Skam Tsok 3,201m ☆
パイユ/Paiyu 3,400m ★
コブルツェ/Khobrutse 3,824m ☆
ウルドゥカス/Urdokas 4,050m ★
ゴレ2/Gore2 4,297m ★☆
コンコルディア/Concordia 4.590m ★
ブロードピークベースキャンプ/BPBC 4,800m
K2ベースキャンプ/K2BC 4,980m ★☆
★:行きの宿泊キャンプ(6日+休養日で移動)
☆:帰りの宿泊キャンプ(4日で移動)
7/26 @K2BC
02:00 起床。朝飯。紅茶と目玉焼きとパン。極力、おなかに貯めないようにする・
03:00 出発。まずはブロードピークの取りつきまで。
前の時より雪が解け、石が露出している。
シェルパが飛ぶように歩き、足元はグラグラして歩きにくい。
星空が綺麗で、いい天気のようだ。
03:45 取りつきにつく。
ここで、ハーネスをつけたり、準備をするが、空が一転して雲に覆われた。
これは、いきなり中止か?このまま登っても、すぐ下りてくることになるのか?
皆、空を見て、ぐずぐずしている。誰も、登り始めない。
この時は、ラッセルが無線を通じて、発破をかけた。
そこまで行ったんだから、はよ、登れ。
ベースキャンプから見ると、雲の上は晴れてるぞ、と。
雪が解けたルート そして、登り始めた。4時半になっていた。
ルートは、途中から完全なドライが続いた。かなり雪が解けている。アイゼンが小石に乗って滑り、足元に気を遣う。
そして、また雪の急坂となる。先日、雪崩が襲った場所だ。
天気は、良くなってきた。
08:00 C1に着く。少し休んで、出発。
C1から上は、完全にドライではないが、岩の露出が増えていた。
11:00 C2に着く。
K2でもそうだが、C2まで一気に登る初日は疲れる。しかし、落石もなく、良かった。
昼寝にする
16:00 夕食はカップヌードル。雷が遠くで鳴っている。
30分もすると、C2は雲の中で、あられのような大粒の雪が降ってきた。
風も、かなり強い。風速は20m/sくらいか。show stopperの天気だ。
これは、もう下山か?明日の朝に、判断することにする。
7/27 @BPC2(6,185m)
C2を振り返る 夜の間に、雪は止んでいき、風は5m/sくらいまで治まっている。
雪は30㎝くらい積もったようだ。
05:00 起床。
07:00 出発。ほとんど直登をしていく。
急峻だが、雪のせいで、かえって歩きやすい。
急峻な登り
BP Camp311:30 C3に着く。
頂上がよく見える。とんきちのピークだ。
この後のルートは、左手のコルを経由して登っていく。
明日は、頂上アタック。起きてそのまま出発できるように、
ダウンスーツを着て、酸素の準備をする。
夕方から寝だした。しかし、暑い。暑すぎる。
それなのに鼻かぜ気味だ。ズルズルしている。少し多めに風邪薬を飲む。
この風邪薬作戦は、失敗だった。
7/28 @BPC3(7.000m)
K2 from C300:30 起床。風もなく、天気はいいようだ。紅茶とチョコの朝食。気合を入れて、ベスパハイパーも飲んだ。
鼻かぜは止まったようだ。しかし、右目の裏がゴロゴロして痛い。なにか小さな石粒のようなものがあるが、出てこない。涙を出しても取れない。
鼻かぜと風邪薬と寝転がった体勢が良くなかったらしい。砂粒のようなかたまりができていた。
結局、この日はこの後、片目で過ごすことになる。
02:00 夜の中を出発。速いペースで登る。
この隊では、頂上にアタックするときに、パートナーとして一緒に登るシェルパがアサインされる。今回は若いテンジンだった。
私は、マナスルでは、彼のおやじと一緒に登った。エベレストでもテンジンとはよく話した。縁があるなあ。
登り始めの5分後くらいから、ものすごく息苦しくなった。
酸素マスクを緩くつけていたために、酸素が入ってこず、外の空気にもマスクが抵抗となっていて、息が吸えない状況になっていた。これは苦しい。まるで苦行だ。
酸素マスクをしっかり付け直すと、今度はしっかり酸素が吸えるようになった。
気を付けましょう...
登り始めてしばらくして、天気が急変する。雪が降りだした。そして段々強くなっていく。
1時間ほどで、稜線のコルまで半分くらいの位置にきた。急坂がさらに急になっている。
ここに来て、視界は更に悪くなった。ヘッドライトもほとんど役に立たない。クレバスも見えないくらいだ。
ここで、断念して下りることにした。
C3につくと、テントにダイブ。そのまま寝る。
05:00 外で誰かが騒いでいる。いい天気だと言っている。
外を覗くと、雪があがって、素晴らしく晴れ上がっていた。
再度、出発することにする。直ぐに支度はできた。
一枚岩のようなスロープを直登し、再び、高度をかせぐ。視界もいい。
先ほど引き返した地点を過ぎた。斜面の角度が更に急になる。氷の上に薄く雪がついた感じだ。
さらに30分ほど進んだ。コルまで直ぐのところだ。
しかし、なんと、ここに来て、同行していたガイドから、下りるように提案された!
ここまでのルートは、頂上に行って戻るころには、雪がとけて氷の滑り台となっている。ロープが無い状況で、ここを下るのは危なすぎる。今なら戻れる。と。
帰りの心配で下りるという事だ。理由が理由なので、皆、少しぐずった。
だが、一人二人と下り始めると、皆、後に続いた。あっさりしている。
自分も、うーんと、思ったが、続いて降りた。。
皆、高度のせいで頭が鈍って素直なのか?今日、二度目の登りで、少しうんざりしていたのか?ロープがないことは分かっていたので、納得しやすい理由だったのか?K2が目的だったので、それほどBPにはこだわってなかったのか?
きっと、少しづつ全部が理由だったのではと、思う。
これが、大人登りか?大人登りなのか?
しょうがないんだけど...
C3につくと、テントをたたみ、早々に下りる。
C2までは、長い雪のスロープを快調に下り、C1までは、ところどころ露出した岩に気をつかいながら下りた。
C1からの下りは、数日前より、更にざれていた。丁寧に下りても、小石が音を立てて流れていく。大きな石が落ちると止まらない。石を落とすと、ローーックと下に向かって叫ぶ。
私の後ろ、100mくらいの距離で、シェルパが下りてくる。彼らは何度も落石を起こした。
彼らから、ローーックと声がかかると、後ろを向いて、直撃をしないように、コースを見極める。ぎりぎりまで引き付けて、ぶつかりそうな時は、よけるのだ。
で、彼らが何度も落石を起こすので、私の反応が鈍くなってきた。すると、センバサン、ローーック!と、再度、声がかかった。おいおい、落とすなよ。
今度は、ビッグローーーック!と何度も呼ばれる。実際、大きな石が何度も落ちてきた。
そう、機動戦士が動けば、ビルが壊れるのはしょうがないのだ。
コンクリートの塊が落ちて、モブキャラは逃げ惑うものなのだ。
結局、当たることはなかったので、良かったが。
途中、ドライの箇所は、懸垂下降で下りた。ドライを越えると、取りつきまではすぐだ。
取りつきでは、アイゼンを脱いで、ダウンスーツから着替える。そのまま一時間ほど、そこでゆっくり休んだ。
これで、登山は終わり、後はBCにもどって、それから街にもどるだけだ。
何だか気が抜けてしまった。力がでない。
そこからBCまでは、ことさらゆっくり歩いた。少し歩いて、少し休む。だらだら、だらだら歩く。
長い日だった。
この日はあまり食べずに寝た
7/29 @K2BC
輝くブロードピーク今日は、帰り支度をする。他にやることはない。
ポーターが来るまでには、まだ日にちがあるようだが。
17時過ぎから雨が降ってきた。モンスーンが近づいている。
帰りのトレッキングも雨だろうか。雨の歩きは憂鬱だ。
7/30 @K2BC
6:00 起床。寒い。久々に寒い。霜が降りている。
こういう日が登山に必要なのだ。きっと雪も締まっているだろう。
ラッセルも、今日は登山を始めるにはいい日だと言った。
そこで、私は準備万端です、と言っておいた。
皆、笑って話している。皆は今後どうするのだろう。
夜のテント 時々、雨が降ってくる。スカルドの方は大雨らしい。
19:50 就寝
7/31 @K2BC
我々のキャンプの前を、氷河の解けた水が、小川になって流れている。 夜の間は枯れており、7時半くらいからちょろちょろ流れ始め、8時には立派な川になる。
今日は、木切れやごみで小さな船を作り、アメリカズ・カップと洗練されたボート達
題して、ボートレースを行った。NZチームとか、アイリッシュチームとか、ボートに名前をつけて、小川に流し、皆で応援する。
America's Cup レースは途中で船が壊れて、順位はわからず終わってしまったが、いい暇つぶしだった。
今度は、長い紐をもっていって、凧揚げとかどうだろう。。。
ポーターが今日来るかもと噂があったが、明日になると連絡があった。明日こそは、帰りのトレッキングに出発だ。
BCで最後のディナーは、山羊の丸焼きだった。山羊とケーキ
食料は余っている。食べたいだけ食べられて嬉しい。
8/01 @K2BC(4,980m)
05:00 起床。皆、早起きで、せっかちに支度をしている。早過ぎだ。
06:00 出発。まだ川は流れていない。
来る時には、雪で覆われていたモレーンも、乾いている。
空は、時々雲で陰るが、かえって暑くなくていいかも。
07:30 BPBC通過。
チョゴリサに向かって歩いていく。
氷河の浸食10:00 コンコルディアに到着。
この辺りは、クレバスや氷河の浸食が大きく。ぐるっと時計回りに迂回して、バルトロ氷河に渡る。
そして、コンコルディアでランチを食べてから歩き出した。
氷河の右岸を下っていく。途中で雨が降ってきた。冷たい雨なのに、熱帯のスコールのように激しい。びしょびしょだ。1時間ほどで止んでよかった。
途中で氷河を横切り、氷河の真ん中を下るコースとなる。G4
振り向くと、G4が見えた。今日は二日分の距離となるコースだ。実に長い。
14:30 Gore2に着く
ちょうどいい機会なので、テンジンに山用のサングラスをあげた。彼は喜んで、トレッキングの間、そのサングラスをしていた。
8/02 @Gore 2(4,297m)
5:15 起床。朝食。少し寒いが、天気はよい。すぐに暑くなるだろう。
6:15 出発。皆、本当にせっかちだ。
ルートは、大きくうねる丘のような氷河を、いくつも乗り越えて続いている。昨日より起伏があるが、多少歩きやすい。
ウルドゥカスのキャンプ場の手前に、軍の小さなキャンプがある。スターウォーズに出てくる砂漠の家みたいだった。
10:00 ウルドゥカスでランチ。日差しが強くなる。
右岸を高巻きしながら、トラバース気味に歩いていく。コブルツェを望む
暑い、急に蠅が増えてきた。
下るにつれ、すれ違うトレッカーが増えてくる。
時々、背中に差してある大きな傘を欲しがって声をかけてくるが、また雨が降ったら使うのだ。あげられない。
12:30 コブルツェに着く。
暑い。川が直ぐ横を流れているので、午後は、ずっと水浴びをしていた。
シェルパは、暑いテントに裸で籠って、かけトランプだ。
すでに、登山シーズンは終わりだが、まだまだトレッカーは登ってくるようだ。ここでは中国人トレッカーのチームと、日本人のトレッカーチームが泊まっている。
日本人のチームは、アマチュア写真家チームの7人組だ。皆、大きなカメラと三脚で、向かいの山を撮影している。大判カメラを持ってきている人もいた。ポーターも大変だ。彼らは今後、コンコルディアまで行って、戻るらしい。
また山羊の丸焼きがでた。食料は余っているので、大盤振る舞いだ。
8/03 @Khobrutse(3,824m)
4:15 起床。暑くて蒸す夜だった。
5:30 出発。晴れ時々曇り。
モンスーンは、なかなか上流まで上がってこないようだ。このまま、遠くでおとなしくしていてくれ。
行きに渡渉した川は、水量が増えたこの時期では、もう渡れない。多少遠回りだが、アップダウンの激しい氷河の中を突っ切るコースで進んでいく。
アレック その後、再び、右岸を高巻きするルートで、そのまま氷河の端近くまで下りきる。
こんどは左岸まで横切り、氷河が終わり、土の上に出る。そこから川沿いを一時間も歩くとパイユのキャンプ場だ。
9:30 パイユに到着。ランチを食べる。コーラを買った。800RP。
行きには、気付かなかったが、このキャンプ場は本当によく整備されている。 テント場としてのまっ平らな土地が、ごみはもちろん、砂もないくらいに、綺麗に箒ではかれている。
30分ほどで、再度、出発した。
川沿いの狭い道を下る。川は雪解け水で激しく荒れている。崖を登り、高巻き道を歩く。
広い河原に差しかかると、河岸に下り、小石混じりの砂地を歩く。
12:00 スカムツォクのキャンプ場に着く。広い河原沿いのSkam Tsok camp
平らな土地だ。
ここは風通しがよく、日差しを和らげてくれる。しかし、砂を巻き上げるので、服もテントもじゃりじゃりになる。
ボルちゃんは、テントの砂を気にして、テントの床を濡らした布で拭きだした。納得がいく位には、綺麗になったようだ。しかしまた、風が吹いて、全てがじゃりじゃりになっている。
お約束のような展開だ。
時々、皆にいじられてるが、本人は気付いていないところが、またいい。
ドクター 今日も、ドクターは、ポーターにもてもてだ。診て診ておじさんや、薬くれくれおじさんが取り巻いている。
ここぞとばかりに押しかけるので、毎日、スタッフのパキスタン人が交通整理をしている。
17:00 小雨が降りだす。モンスーンに近づいているようだ。20時前に雨は止んだ。
8/04 @Skam Tsok(3,201m)
4:00 起床。ますます、暑くなってきたので、朝早く出ることにした。
5:15 出発。
川沿いの比較的平坦な道を下る。
途中から支流を遡り、8時にジョラのキャンプ場につく。ランチ休み。
ジョラからは、早々に出発し、岩を砕いて作った高巻き道を進む。
暑い。開けたところに出ても、緑が少ない。
ほとんど、砂漠地帯を歩いている。
遠くの空には、モンスーンの気配を持った雲が広がっているが、ここからは遠い。
10:15 小さな川を横切る。この川のせいで、この辺りだけ緑が豊富になっている。
コルフォンと呼ばれるキャンプ場だが、まるでオアシスの様だ。
牛が寝そべり、木陰ができている。パキスタン人の家族が、ピクニックに来ていた。我々も少し休憩した。
途中で、支流のつり橋をわたる。行きとは全く違って荒れた川だった。
直ぐにアスコーレに着くかと思ったが、ここからが遠かった。行けども行けども、村が見えない。
12:15 公園管理の事務所に立ち寄る。行きに登録をしたところだが、この日は門がすべて閉まっていた。 帰りの管理はどうでもいいのだろう。放っておいて進む。
日差しが強い。道沿いの小さな滝で、頭を洗う。気持ちいい。
13:00 アスコーレにつく。村の入り口につくと、傘をくれくれと、子供がよってくる。
俺を指さし、ハロー、アンブレラ、アンブレラと、お姉さんも話しかけてくる。
もてもてだ。
ここには宿がないので、テント生活をする。村の売店
しかし、村の売店では、コーラが300RPと安い。
木陰で、コーラを飲みながら、午後を過ごした。
8/05 @Askolee(3,055m)
荷造り 昨晩も強く雨が降った。朝には上がってくれてよかった。
4:00 起床。朝食。荷物を作って、ランクルに載せる。
我々も乗る。エンジンは押しがけだった。
5:00 出発。しかし5分も走ると、進めなくなった。
道が鉄砲水で寸断されている。
ランクルが通れるように、修復をした。
大きな岩をどかし、路肩をつくり、泥は小石で固める。
人が列をつくり、石を手渡しで運ぶ。全て手作業だ。
2時間程度で復旧した。
7:15 再出発。今度も5分程度走っただけで、次の寸断箇所まできた。今度の方が谷間が深い。
最初の補修で作業のコツはつかめていたが、それでも完了まで2時間半ほどかかった。
9:45 再出発。パリダカのようだ。ランクルが荒れた道を進む。
行きの時に壊れていた橋は、いまだに壊れていた。人力で荷物を運び、別のランクルに載せかえる。
川幅はものすごく広くなったが、まだ暴れて渦を巻いている。道は乾いて、前の車が砂埃を巻き上げ、近づくと視界が真っ白になる。
突然、車が止まる。また、土砂で川が寸断されているのだが、
今度は川が広い上に、水流が強いので、修理は難しい。
すると、ランクルが川に突っ込んだ。特攻だ!
パキ人も結構、やるな...
道路の戦士 戦いの記録
(ちょっと長い)
18:00 スカルドに着く。
文明のホテルだ。
温かいシャワーがある!
チキンのBBQで豪華ディナーだ!
8/06 @Skardu
昨日まで4日間、イスラマバード行きの飛行機は、モンスーンで欠航していた。
しかし、今日は天気が良いので、飛びそうだ。ラッキー!
Kit bagを一つ、飛行機で運び、もう一つのバックは、陸路でトラックに載せることにする。
8:30 空港へ向かう。飛行機は行きの時より大きく、150人くらいの乗客だった。45分位の短いフライトだ。
空港カウンター イスラマバードに着くと衝撃的なことがわかった。
この飛行機の乗客のほとんどの荷物が、飛行機に乗っていなかったのだ。
集団ロストバゲッジだ。100人以上の乗客がカウンターへ押しかける。
こんなのは初めて見た。絶対、わざとやっている。
なんと、スカルドから陸路のトラックも、川があふれて進めないらしい。
出発はしたが、またスカルドに戻ったそうだ。
これでは、荷物がいつ、イスラマバードに届くかわからない。
8/07 @Islamabad
午前の便で、昨日の飛行機のロストバゲッジが届いた。
そこで、日本行きのフライトは、今晩の真夜中の便に予約を変更した。
トラックの荷物は、いつくるかわからないので、後で別送として送ってもらうことにする。
さよなら、パキスタン
Monal Restaurant 最後の夜のディナーは、郊外の山の上に立つレストランだ。
夜景も素晴らしいが、レストランのサイズも大きくて驚きだ。1,000席はあるだろう。それでも、人が列を作って待っている。大人気だ。
ディナーの席で、ラッセルに、来年もK2をやるのかと聞いてみた。
昨晩はパキ人たちと今年の反省会?みたいな議論をしたらしい。
彼としては、6月の頭には、パキスタン入りする必要があると思ったそうだ。
はっきりとした明言は避けたが、来年へのやる気は伝わってきた。
このまま、終われないよな。楽しみだ。