Diary of 5/31-
Jungle March
indus riverIndus river @Skardu
都市・町・村の標高
 イスラマバード/Islamabad 508m 
 スカルド/Skardu 2,500m 
 アスコーレ/Askolee 3,055m 

6/14/2015 - 6/16/2015@Islamabad, Pakistan


Airport3:00 真夜中の空港は、乾燥地帯の熱気と砂埃の中、昼間と変わらないくらい、沢山の人々でごった返している。
 この時間帯にもかかわらず3つの便の飛行機が相次いで到着する。

 人々は、出口へ殺到し、一応、列を作らせようとする空港職員もいるが、全く守られる気配が無い。
 私の後ろの男も、早く進めとプレッシャーをかけるように、私の背中にぴったりとくっついて、首筋に息がかかってくる。

 本当に、暑っ苦しい。
 そういえば、男同士でも、仲がいいと手を繋いだり、抱きしめあったりする国だ。
 そう、腐女子なら、嬉しくなっちゃう国だ。

 イスラマバードは、人工的な計画都市で、綺麗な区画や、islamabad
太い道路、近代的なビルが特徴のクールな街だ。見た目は、アジアの他の街より、テキサスの大都市のほうに、よっぽど似ている。

 しかし、昼の厳しい日射しに負けないくらい、暑苦しい人々が生活している
 ひとなつっこくて、実は、嫌いじゃないんだけど。


 空港の出口で少し待って、他の便で到着するメンバーを待つ。
 3人の遠征メンバーが相次いで到着した。アメリカ人の二人、アレックとボー、そしてイギリス人のデビット。三人とも、荷物が大きい。

big kitbag 大体この手の遠征では、荷物は2つのダッフルバックに詰め込むのが
普通だ。XXLのサイズ、150Lを二つで、50キロ弱になる。これに加えて、バックパックを機内に持ち込む。

 ところが、アレックは3つのダッフル。ボーは4つの樽を抱え、デビットは、ペリカンケースとか、もうカートに乗り切れないほど、いろいろと持っていた。

 何をそんなに持っているのだろう。俺は何か足りないのか...少し不安になる。

 夜中のイスラマバードを、30分程ドライブして、宿泊するレジデンスホテルに着いた。

 今回のk2遠征は、Himex隊の始めてのK2とあって、キャンセル待ちが何人も出るほど人気となった。12人の登山者が参加し、二人のガイドと多くのシェルパが参加している。
 後で、全員の8K峰の登頂経験を数えてみたが、皆、5-6回はざらで、合計では80回を超えていた。すごい。
 しかし、私は一回だけ...大丈夫か...

 翌日、ランチも兼ねて、近くのデパートへ買い物に行った。department storedepartment store
大きなデパートだが、西洋人は珍しいのか、現地人に写真をせがまれている。なんか、昭和の日本のようだな。

 スーパーマーケットで、ライターを買う。ライターは飛行機で没収されてしまうので、毎回現地で買い足すのだ。ついでに、おやつにするアーモンドも買った。
 
 イスラマバードでは3日を過ごし、その後、北部の都市のスカルドまで、飛行機で移動する。
 早朝の5時にチャーター便は出発し、6時にスカルド空港に到着。
 そこからホテル・シャングリラに移動した。

シャングリラホテルShangri-la Hotel すごい名前のホテルだ。スカルド空港では、そのホテルのポスターが貼られていた。ケバイ色使いと、夢みる雰囲気は、昭和の秘宝館のようにシャビーに見える。

 で、やっぱり、このホテルは選択ミスだった。設備は壊れかけでぼろぼろ、停電もしょっちゅう。実物もシャビーだ。
 決定的だったのは、夕食の食材が足りなくて、めしが殆ど出なかったことだ。年中、食い盛りのメンバー達に、これはありえない。

 次の日に、このホテルを引き払って、スカルドの町中にあるコンコルディアホテルに変えた。
 近くには、昔から遠征隊の御用達で有名なK2ホテルがあるが、よく似たホテルである。インダス川沿いで、眺めがよい。
 ここでしばらく過ごして、イスラマバードからトラックで来る荷物を待つ。


Indus river and boysインダス川と少年

6/17-19 @Skardu

 
 スカルドはパキスタンらしい町だ。ごちゃごちゃとしたskardu town
雰囲気がある。そして人々は礼儀正しく、親切だった。すれ違う人々に手を上げて挨拶をすると、殆どの人は笑顔で返してくれる。
 

gents @ skardu 文房具屋でボールペンを買う。10RPのものを2本買った。1RPが1円位なので、大変安い。50RPを払いおつりをチップで渡そうとしたが、丁寧に遠慮をされ、受け取らなかった。そういう文化なのだろう。

 かさは300RPだった。大きな傘は、遠征ではいつも現地で仕入れるものの一つだ。雪の降る氷河地帯に入るまでは、蒸し暑いレインウェアより、傘が役に立つ。


 ご飯は、カレー風味で味付けをした鶏肉と、これまたカレー風味のジャガイモ、そしてダルと呼ばれる豆カレーがメインだ。鶏肉は、山羊肉になったり、ちくわのような形をしたケバブになったりする。
 これに、長粒米とチャパティーが付いてくる。味はいいのだが、同じようなものが続くので、やがて飽きてくる。

 この時期はマンゴーの季節で、大変うまかった。fruits shop
 ライチもいい。ここのフルーツは最高のコスパだ。



 パキスタンはイスラム共和国であり、豚肉系のものは手に入れるのが難しい。また禁酒国であり、お酒は特別な伝手で、限られた割り当てを買うしかない。

 我々のチームのメンバーのビリーは、ネパールやパキスタンで住居を持ち、仕事をしている。この隊は、彼女の紹介で、多少のワインとウィスキーを仕入れることができた。それでも、一人当たりで、一週間に2-3杯くらいの量だ。この2ヶ月間は、殆ど禁酒となるだろう。




 このスカルドの町では、カラコルム地方への立ち入りの手続きに時間がかかっていた。アメリカ人とネパール人のパキスタン入国ビザに、制限区域への立ち入りには現地の役所の判子が必要だという、但し書きが付いていたのだ。
 他の国のメンバーには、そんな但し書きは無いので、政治的な差別といっていいだろう。
 しかも現地の官僚が、判子を押す手続きを渋っているらしい。これは、官僚文化のせいか?

 ともかく、直ぐにOKにはならないらしい。
 我々は、出発を一日延期した。

KharphochoKharphocho砦 ということで、時間ができた。
 スカルドに観光名所はあまりないが、インダス川沿いにある砦に行ってみた。眺めのよいところだ。

 砦に同行してくれたパキスタンの警察官は、以前は特殊部隊にいて、police and members
ナンガパルパットのBCを襲ったテロリストの一人を捕まえたそうだ。

 テロリストは捕まると、最初は2万RPで逃がしてくれるように彼に頼みこみ、無理だとわかると今度は、出所したら家族を殺すぞと脅してきた。この逮捕のときに怪我をして、彼は特殊部隊を除隊して、地元警察官になったそうだ。
 大変、誇らしげに話してくれた。

land cruiser

6/20 @Skardu


5:30 起床 朝飯 いよいよ、移動の日だ。
7:00 出発 トヨタの旧型のランドクルーザーに分乗して、最後の村のアスコールまで向かう。
 ここから先の自動車は殆どが、この旧型のランクルだった。やがて帰り道で、この道ではなぜランクルでなければいけないのかということを思い知ることになる。


 1.5時間ほどドライブをして、シガーの町を通過すると、bridge
道が舗装路から砂利道になる。その後、小さな村をいくつも通過し、道が狭くなり、アップダウンが激しくなってくる。

men at work泥んこ遊び14:00 小さな土石流が発生して臨時の川ができ、道が寸断されていた。
皆で降りて、道を復旧する。


14:30 大きな橋が落ちている。車では渡れないので、対岸まで徒歩で渡り、車を変えて荷物を載せ変える。

15:30 アスコーレに到着。緑が多い落ち着いた村だ。AskoleeAskolee
 宿泊施設はないので、テント泊だ。村人が覗いている。子供は、写真を撮れとせがんでくる。


 ディナーはチキンカレーとフライドチキン。おくらとポテトのカレー。スープ等。多すぎだ。

20:30 明日からはトレッキング。早めに寝ることにする。寒くも暑くもなく、快適な温度だ。

 この時期は、ラマダンにあたる。暗くなってから、パキスタン人は食事を取り始める。夜が更けてから、がぜん元気になった彼らの声を聞きながら寝た。