Diary of 5/31-
Return in the rain


K2 from BCK2 and Base camp

6/29 @K2BC(4,980m)


6:30 朝になり、テントはかなり暖かくなってきた。一旦、起きかけたが、二度寝をする。
7:00 起床 気温があがっていく。
7:20 テントに日が射す。テント内は18℃。外は快晴。紫外線の嵐だ。まだまだ気温は上がる。

 パキスタンの南の都市のカラチでは、この時、記録的な熱波で、1,000人以上が亡くなったらしい。これは遠い街の出来事だと思っていた。
 しかし既に、罠はそこにあった。


 朝食は、シリアルか米のポリッジに続いて、パンケーキと目玉焼きが出る。これは、毎日、毎日、同じだった。ジャム、メイプルシロップ、ピーナッツバター等、各自が好きなものを塗って食べる。
 また、お湯を使って、コーヒー、ココア、粉末ジュース、紅茶等が飲める。


k2bc tent 午前中に、我々がリプラットフォームと呼んでいる、いわゆるテントの引越しを行った。

 テントは氷河の上に張られているが、表面の砂利が薄いと、そこが融けて地面が沈む。また逆に厚く砂利を轢いておくと、周囲の地面が沈んでいき、テントがどんどん高くなるので、テントの外周部分から石が崩れていく。


 昨日、テントを建てたばかりだが、再度、土台を作り直すことにしたのだ。、

 まず、砂利が分厚そうな土地を選んで、大きな石を外周に配置しまわりを固めた。それから上に細かい石を撒いてならし、平らな地面を作ってから、テントを設営した。
 また、入り口や荷物置き場となる前室には薄く平らな石を敷き詰めた。


 一時間以上もかけてリプラットフォームを行ったが、この後2週間も経つと、氷河が沈んで、またこの作業が必要になった。
 結局、この後BCにいる間に、4回ほどリプラットフォームを行うことになる。


 午後は、休息。ダウンスーツを干す。天気がいい。こんな日は、後、何日あるのだろう。
 周り中で雪崩がおきている。
 少しトランプをした。他のメンバーに教えられたヨーロッパのゲームだ。全く覚えられなかった。役と点数のパターンが多すぎるのだ。


 夜は満月だった。ブロードピークが美しい。Broad peak with moon月夜のブロードピーク
ベースキャンプからは、三つのピークがよくわかる。自分では、とんきちちんぺいかんたと呼んでいた。



 寝る前の日課は、①お湯をナルゲンボトルに入れて湯たんぽにする、②トイレ大に行く、③歯磨き、④サプリを飲む、⑤昼間ソーラーで充電した蓄電池から携帯等に充電する、⑥SPO2を測る、⑦日記をつける、といったところだ。そして寝袋に入ってから、Kindleを読む。

20:45 就寝

6/30 @K2BC



4:30 夜、寝るときには-10℃は下回っていたが、この日の朝は暖かくて目が覚めた。既に+1℃だ。早めに朝食を食べた。


8:45 K2の取り付きまで偵察に出ることにした。k2偵察

 クレバス地帯を大きく迂回しながら、氷河の上を40分ほど歩き、今回の登山ルートである南南東リブ(SSE spur)ルートの麓まで着いた。
ルートを眺めると、なんとなく、イメージが沸いてくる。


 日本でもネットでこのルートを調べたが、情報はあまり無かった。改めて麓から見上げると、急なルートだが、ものすごいテクニカルというわけではなさそうだ。
 アイスクライミング型のピッケルではなく、普通のピッケルで登ることにする。後で、やすりでメンテをしておこう。


K2 shoulderK2の上部11:00 キャンプに戻ると強い日差しが照りつけてきた。

 一気に暑くなる。テントの中は30℃にもなっている。


 唇が痛い。辛い食事と日焼けで傷めたようだ。これから、しばらくはfood
リップクリームを携帯しなくては...


 SPO2は79%/62bpm この高度では安定しまくりだ。

7/1 @K2BC



プジャプジャ5:30 プジャの儀式をはじめる。パキスタンはイスラム教だが、シェルパが多く参加しているので、プジャを行うのだ。ただ、ここにはラマ教のお坊さんはいないので、代役をたてる。

 ラマ教の寺で6年間修行をしたテンジンというシェルパが代わりを勤めた。彼は18歳で最年少の参加者でもある。若いシェルパのプジャは、清清しい感じでとてもよかった。


 午前は、読書。日本人のIさんが持ってきた本を読んだ。Chogolisa from BCChogolisa
昔、K2を登った早稲田隊や、メスナー達の記録の本だ。

 午後は、ギアのメンテナンス。やすりが役に立つ。



 明日は、C1へ往復をしてくる。いわゆるC1タッチの日だ。寝る前に、荷物を作っておいた。
20:30 就寝。明日が早いので、皆、直ぐに寝るモードだ。

7/2 @K2BC



3:30 起床。直ぐに朝食を食べ、4時半にはBCを出発した。
5:30 クランボンポイント。取り付きの少し手前で、アイゼンを靴につける。今回はC1までなので、シングルブーツで登ることにした。

K2 to C1 今日も、またま天気が良い。殆ど雲も見えない。
 取り付きから直ぐに、急登が始まる。さすがに皆ペースが速い。

 しばらく経つと、お腹が張ってきた。朝食を食べ過ぎたようだ。普段、登るときはかなり抑えるのだが。
 そして今度は、ふくらはぎが張ってきた。筋力低下だなぁ。少し歩きかたを工夫して、もう少し楽に歩くことにする。


8:30 先行していたシェルパに追いつく。止まる。登るを繰り返す。
 特に怖いところはない。

 C1は狭い2段テラスだった。上の段は大きなテントが一張り、C1@Camp 1, SSE spur route
下は小さなテントが一張りでいっぱいだ。

 我々は、今日はこのまま降りるし、この後日の登山ではC1を飛ばして、直接C2まで登っていたので、C1の狭さは関係なかったが。

 この後のC1からの下りでは難儀をした。強い日射しで雪が融けはじめたところに、雪を良く噛むアイゼンをつけていたので、一歩ごとに大きな雪球が足にくっついた。まるで、竹馬にのって歩いているようだ。
 ぜーぜー言いながら、下まで降りた。


 BCに戻り、午後からは寝た。高所だと、いつでも寝れる。

7/3 @K2BC



6:30 起床。14℃。今日も暖かい。毎朝、ここから急激に温度が上がる。


 洗濯日和だ。下着を洗濯する。干そうと思ったら、テントのポールが一本折れているのに気づいた。くそっ、これは簡単には直せないのだ。
 一旦、テント内の荷物を全部だして、テントを畳んでポールをひきだした。テントペグを芯にしてポールを補強し、再度、テントを設営する。一仕事だが、暇はたっぷりあるので、気を取り直して楽しんでやることにする。


K2 Avaranch111:10 K2で大きな雪崩が起きる。
今回の遠征で見た中で、最大の雪崩だったと思う。


 南壁の上部をトリガーとして、途中のセラックを巻き込み、我々のコースである南南等リブの直ぐ横の谷を走っていく。下に行くにしたがって、もくもくとした雪煙が大きくなった。


k2 avaranch 2 そして、下りきって氷河にぶつかると、そのまま氷河を横切り、ついに反対側のブロードピークにぶつかった。



 雪煙はそこから谷を下り、4km近く離れている我々のBCまで到達した。

 もくもくとした白い雲が近づいてくる。その中に飲み込まれると、視界は薄暗い灰色でかすみ、冷たいシャーベット状の雨が降ってきた。30秒くらいでこの雲は過ぎ、辺りは再び、嘘のように快晴になった。

 今、我々の隊のメンバーの何名かが、昨日の私のように、K2を登っている。大丈夫だろうか... 
 無線で確認をとると、殆どのメンバーは、たまたま尾根の反対側にいて、雪崩に気付いてすらいなかった。この規模で気づかないとは...それはそれで、大丈夫か?


 昼に行水をした。お湯が少ないので、石鹸が残ったままタオルでふいた。段々、ずぼらになる

13:30 2回目の雪崩が、同じところで起きた。1回目程、大きくはない
13:50 3回目の雪崩が起きる。セラックがどんどん削られていく。これで、雪が安定してくれればいいが。

2回目の雪崩の映像


 今回の雪崩を観察していて分かったのは、南南東リブのルートは、比較的、雪崩に強いということだ。雪崩がルート上にかかりにくい地形となっている。
 ただ麓の取り付きの辺りは、雪崩が広がりルートが埋まってしまう。通過タイミングに注意が必要だ。


 この雪崩を受けて、しばらくK2の雪の様子を見て、雪が落ち着くのを待つ事にする。

 しかし、このまま休んでもいられないので、高度順応を進めるために、K2の代わりにブロードピークに登ることにした。不測の事態をいろいろ想定して、BPの登山許可もとっておいたのだ。やるな!
 早速、明日から、BPのC2 stayの順応に出発することにした。

20:15 就寝。早めに寝る

7/4 @K2BC



3:30 起床。4時半出発

 ブロードピークへの取り付き口にK2BCから向かう。ブロードピークのBCを経由するより短くなる、ショートカットコースをみつけておいたのだ

gracier maze氷河の迷路 沢山の氷の尖塔(ペニテンテス)の間をくぐり、水量の多い川を渡り、モレーンの道を下っていく。この川を渡るポイントを見つけられたので、このコースが設定できた。
 年によっては、川が渡れなかったり、ペニテンテスの密度が高すぎたりして、このコースは使えないかもしれない。

 太く分かり易いモレーンの一本道は、取り付きの近くで、うねる氷河の迷路となる。ケルンが積んであるが、迷いやすいコースだ。


05:30 一時間ほどで取り付きにつく。ここに、Advance Base Campとして、荷物を置けるテントを設置した。
 ここでハーネスをつけ、小石と砂の急坂を登り、15分くらいのところで雪道となる。


 雪道でアイゼンをつけて、30分程、急坂を登ると、今度は3m程の岩の乗り越しだ。力技で岩の上に体をあげると、そこからはドライのコースが続く。石を落としやすいので神経を使う。

 30分程で、再び、急な雪道になる。腰を下ろして休む場所がない、一枚岩のような急坂だ。雪道はどこまでも続いている。日が射し、暑くなってきた。皆、速いペースで登る。


09:30 C1につく。テントが4-5張りはれるテラスだ。C1 to C2C1からC2を望む

 お湯を沸かし、スープと味噌汁を飲み、昼寝。天気がいい、景色もいいが、ここは寝倒す。


 GPSで高度を測る。日本でインターネットを使って、事前にルートの調査をしたが、資料により高度がまちまちだった。そこで、現地では、できるだけGPSで確認をとるようにした。実際、100m位の誤差の場所もあるようだ。ここは、標高5,660m。


 夕食は、日本から持参のアルファ米を食べた。私は、BPより上ではあまり食べないので、一度アルファ米をお湯で戻すと、二食に分けて食べることが多い。この日もご飯は半分食べて、缶詰を開けた。

 その後、我々がMission#2と呼んでいた大便をする。体が落ちないぎりぎりの崖っぷちでして、終わった後は、便を崖から落とす。ばらばら殺○○○事件だ。

18:30 就寝

7/5 @BPC1(5,660m)



4:15 起床。残りのご飯と味噌汁で朝飯。
6:30 テントを畳んで登る。この高度なので、テントの重みで息遣いが荒くなる。フリースの手袋一枚で登り始めたが、手が冷たい。少しなめすぎたか。


 昨日と同じような角度の急坂を登る。ルートは大きな岩柱帯を巻くようにとってあり、ところどころミックスの登りとなる。特に危険なところはない。


Camp 209:30 C2着。速いペースだ。
 雪の斜面に棚を掘り、テントを建てる。途中で岩にぶつかり幅が取れないので、テントの端が少し空中にはみ出した。

 にゅうめんを食べて、また寝た。K2 from C2K2 from BPC2
 高所では、寝ると呼吸が浅くなるので、新たな高度のキャンプに着いて直ぐには寝ないのが、基本だ。今回は、息は楽だが、足が疲れているようだったので、寝てしまった。


K1 from C2マッシャーブルム-K116:00 起きる。よく寝た。すごくいい天気だ。いい気分。
 SPO2は、78%/90bpm。脈が速い。これは、まだリカバリー中だな。
 GPSで標高6,185m


 一緒に登ってきた何人かは、このキャンプにもう一泊して明後日下りるそうだ。私は順応は大丈夫そうなので、明日降りることにする。

 夕食はカップヌードルとゆで卵。
18:30 就寝

7/6 @BPC2(6,185m)



04:00 起床。味噌汁を飲んで、後はチョコで朝飯。テントを畳んで直ぐに出発した。
 快調に下りていく。早い時間なので、雪が団子になることもない。

06:10 C1 通過
 下りていく間に、4-5人の韓国隊のメンバーとネパール人のシェルパが上がってきた。我々のロープを使っているので、鉢合わせですれ違う。

07:30 取り付き(ABC) に到着。
 この少し手前で、日本人らしき女性と外人のガイドとすれ違う。外人とは立ち話をしたが、日本人らしき人はそっぽを向いていたので、話さなかった。
 この時には、分からなかったが、後で、事故にあったSさんと分かった。

sunshine K2BCまでは、長いモレーン道を歩く。日射しが強く、汗をかいた。

09:00 K2BC着。二日間しか経ってないが、テントの周りが結構、融けていた。ますます、気温が上がっているようだ。

 荷物を片付け、干し物をした。

 夕食はヤクの肉のステーキだ。C2順応が終わった祝いでワインが出た。

 我々と同じ南南東リブのコースを登るチームがあり、そのリーダーがマイクだ。南アフリカ系ドイツ人だ。彼らがこの日のディナーに参加した。今後、情報共有をしたり、助け合うこともあるだろう。
 この一週間後にマイクは、我々のシェルパと大きなトラブルをおこすのだが...

7/7 @K2BC



07:00 起床。テントが暑すぎ。既に31℃だ。起きる前は、砂漠を歩く夢を見ていた。そういうこともあるんだな。まるで...


 コロラドから来たボーが帰ることになった。家で急用ができたそうだ。といっても、普通に帰ると、歩き4日+車・飛行機で、イスラマバードまで一週間。帰国便の手配やらで、帰宅までは10日くらいかかる。ここは陸の孤島なのだ。

 ボーはリエゾンオフィサーに頼んで、ヘリをアレンジした。ここには民間のヘリ会社がないので、すべて軍のヘリを使うことになる。それで、スカルドまでの徒歩と車での5日間を節約できる。コストは15k-22k USDだ。実に高い。でも他に手はないので、しょうがない。

 ボーはバックパックと二つのkit bagを持って乗り込もうとしたが、重量の面でkit bagは一つしか載せられなかった。隊の他の荷物とあわせて、後で送ることにする。

 パキスタンは大国だが、ヘリに関してはネパールの方が遥かに使い勝手がいい。コストも安く、搭載重量もあり、多少の悪天候でも飛べる。


14:45 隊で今後の方針についてミーティングをした。
 まず、ブロードピークとK2の二つの山について、今後は力を分散しないためにK2に集中することにした。K2のC3を早急に建てて、高度順応と酸素ボンベを貯める。しかしトラフと呼ばれる悪天候が来そうなので、タイミングをはかる必要がある。


 ヤクの屠殺をみた。足をしばり、横に転がし動けないようにyak
してから、のどをかき切る。血が噴出し、しばらくしてから食道を切ると今度は胃の中の草が噴出した。


 夕食は、想像通り、ヤクカレー。おいしく頂きました。

20:25 就寝。SPO2は84%/56bpm。順応している。

7/8 @K2BC

 
chogolisaChogolisa 今朝も凶暴に温度が上がっていく。11時ごろから、周りの山では小さな雪崩が続く。

 アレックが戻ってきた。未だにC2への順応が終わってないアレックら数人は、昨晩の1:00に出発し、K2のC2を目指していたのだが...
 アレックはC1までの途中で、調子が悪くなったらしい。貧血のような感じだ。そのまま、ベースキャンプへ戻ってきた。

 BCから双眼鏡で見ると、皆から離れて、ブルックが一人で登っているのが見える。実にゆっくりのペースだ。こちらも大丈夫か?
 この晩、彼は、C2で一晩中吐いて眠れなかったらしい。

 この日、Seven summitの隊がベースキャンプに到着した。彼らは6-7人のクライマーとシェルパとスタッフのようだ。
 彼らは我々の隣にテントを張りだしたが、1-2mくらいしか間がない。おいおい、土地は一杯あるのだから、もっと離れてくれと文句をいって動かさせた。この隊は、ごみは散らかすし、安全管理がなってないし、これまで評判が悪い。

7/9 @K2BC



AngelAngel peak 朝食時、アレックが帰ることにしたと、伝えてきた。ヘリではなく歩きだ。確かにC1に登れないのではしょうがない。
 しかし、我々のリエゾンオフィサーと話したときに、直ぐに出発するのは無理ということが分かった。帰り道、彼につきそうリエゾンオフィサーがいないのだ。そこで、他の隊が戻るときを待って、一緒に戻ることになった。


 この日、遠くから霧や雲が近づいてくるが、K2に来る前に消えていく。BC付近の高気圧はなかなか強いようだ。


 この日のmtgで、今後の予定を話した。11-13日の辺りでC3順応をすると、22-23日の辺りでSummit Dayのスケジュールとなる。サミットへの輪郭がはっきりしてきた。

7/10 @K2BC



07:30 起床。今日は雪だ。暑くないので寝坊ができた。

 実際、洗濯も干し物もできないし、やることがない。Kindleを読んで、するめをかじっていた。

 天気予報は14日位まで天気が回復しないといっている。忍耐だ。

7/11 @K2BC



snowy day07:30 また雪がちらついている。暗い日だ。

 K2のBCから歩いて20分程のところに、メモリアルプレートと呼ばれるところがある。K2の遭難者の墓碑だ。
 暇だしそこに行こうかという話もあったが、結局、やめた。
 行くのなら、登った後がいいと、弦を担いだのだ。


 午後になり、雲の間に太陽が出た。一旦、日が出ると暑い。この調子なら、明後日位には、順応に出発できるか...


 衛星電話はIsatphoneを使っている。この電話は調子が悪い。なかなか繋がらなくて、役に立たないが多い。困ったことです。
 Isatphoneはインマルサットだが、スラーヤとか他のシステムにすべきだろうか?今後の課題だ。

7/12 @K2BC



06:45 起床。うすぐもり。9時にまた雪が降ってきた。明日くらいに出発できるかと思っていたが、またしばらく待機だ。

10:00 酸素マスクの配付があった。装着の練習をする。このメンバーなので、これまでトレーニングのようなものはやってこなかったが、あまり使う機会がない酸素マスクは、皆、真剣に練習をしている。

 夕食はマトンのソーセージ。形はちくわで、スパイスが効いていて辛い。
 今日は月も星もない闇夜だ。

7/13 @K2BC



tent少し傾いたテント06:30 起床。ひさびさの晴れだ。洗濯をし、干し物をする。
シャワーを浴び、ひげをそる。

 今日は、テントのリプラットフォームもした。やるべきことを、全てやった午前中。
 ついでにストレッチも。テントは32℃。気分がいい。

 雪はすっかり消えてしまった。

 午後は、暑い中、読書でリラックス。そろそろ、動きたい。
 明日は、シェルパが先行して偵察にいくことになった。


 今日はNickの誕生日。Farmanがケーキを焼いた。birthday cake

 Nickが嬉しそうだ。隣のボルちゃんは、うらやましそうだ。
 なんか、いいね


7/14 @K2BC



05:30 シェルパが出発したようだ。一旦起きたが、また寝る。
06:15 日の出の時間。直ぐに暑くなる。


k2 sunnyday 午後、シェルパが戻ってくる。トラブルが起きた。
 彼らは今晩、C2に泊まり、明日はC3まで行く予定だったが、C2でいざこざがあり、そのままBCへ下りてきてしまった。

 どうやら、シェルパ達より先に着いていたマイクが我々のテントを使っており、どいてくれと言ったシェルパに石を投げつけたらしい。
 シェルパは、無線を切って、我々の呼びかけに応じず、降りてきた。ワーオ!


 マイクのチームには、必要な時には我々のテントを使ってもいいと話していた。それでも、文句を言った人に石を投げつけるのはありえない。もし文句を言ったのがヨーロッパ人だったら、彼はそんなことはしないだろう。彼のお里が知れるというものだ。彼とは永久に仲良くなれないと思った。


 シェルパも喧嘩をしなかったのは立派だが、無線を切って下りるのは大人気ないし、プロとはいえない。今回、若いシェルパだけでチームを組んだつけがまわってきた格好だ。 結局、これまでの小さな不満が溜まって、このきっかけで噴出したともいえる。感情的に行動して、直ぐにストライキをするのは、ネパールの国民性かもしれない。


 この問題の解決には、リエゾンオフィサーのアティーフがアティーフアティーフ
活躍をした。
 シェルパの話を聞いて怒ったアティーフは、マイクに謝らせることをシェルパに約束して、話を収めた。彼は軍の権限でパスポートも預かっているし、やろうと思えば帰国させないこともできる。
 いやぁ、ネパールと違って、リエゾンがよく仕事をする国だ。


 その後、シェルパが我々のところにきて、スケジュールが遅れてしまうことを謝った。
 これで手打ちとなった。

7/15 @K2BC


06:00 起床。二度寝。7時起床。

 18日から再度、トラフが吹く予報だ。その前に、明日から三日で、C3の順応をすることにした。最後の順応だ。そして、その次は頂上へ登る。

 夕食はパスタとトマトソース。サグポテト。
 ラッセルから、酸素タンクの荷揚げを頼まれた。明日の負荷にはなるが引き受けた。
20:00 就寝。明日は早起きだ。