diary 9/5-
C1 acclimation

To crampon point

9/5/2013 10:11 @ クランポンポイント



Base campの高度にも慣れてきたので、この日から高度馴化の次のステージに移った。

この日はBase campとCamp 1 の間にある、アイゼン(クランポン)に履き替える場所、クランポンポイントまで行ってきた。手元の高度計では5066mとなっていた。
クランポンポンとにて
9:30 前にBase campを出て、一時間足らずでついた。自分のアイゼンとピッケルをデポしておく樽を確認して、すぐに降りた。明日はC1に行き戻ってくる(C1タッチ)ので、またここにくる。

9/5/2013 14:18 @ 食堂テント

ユマールシステム


クランボンポイントから戻り、ランチの後に皆集合して、今後の登攀に向けて、各個人のユマールシステムを調整した。
ユマールとカラビナを2つ使う。ロープの中ほどを縛りハーネスにつける輪をつくる。そして手を伸ばした距離より少し短くなるようにロープを調整して、片側にユマールを結び、ロープの反対側はもう少し長めにして、ユマールのバックアップとなるカラビナを結ぶ。ここは通常のランヤードと同じ仕掛けだ。さらにもう一つ別に、更に短めのロープを作り、カラビナを結び、ハーネス用の輪も作る。ハーネスにつけると、腰の中心から3本のロープが伸びる形となる。この短いロープのついたカラビナを通常の場所で使い、急坂になるとユマールと長いロープのついたカラビナを使う。
日本からはランヤードを持ってきたが、片方が短すぎたのと少々硬かったので、結局、ロープで一から作り直すことにした。


また、今後の高所順応だが、最終アタックまで、高所靴のスポルティバ・オリンポスを使わずに、ミレーの夏靴で行くことにした。その方が軽いということと、十分暖かいだろうという読みである。そのために、アイゼンがミレ―につくように長さの調整をした。
私のアイゼンは、シモンのバンパイアといって、前歯は縦歯で、全体的に噛みついてきそうな面構えである。ミレーの靴はコンパクトなので、アイゼンを組み合わせると、隠しきれない凶悪さが漂ってくるようだった。

C1への道のり

9/6/2013 10:05 @ Camp 1



この日、6:10にBase campを出発して、10:05にC1に着いた。C1は5550m、約750m の高度差を4時間かけてゆっくり登ったことになる。高度順応が目的であるから、体に無理な負担をかけずに高度を経験させるために、このゆっくりアプローチを続けている。

c1までは暑い
快晴の中、半袖になっても、照りつける太陽で体があつい。
C1までの間は氷河の末端に近く、細かいクラックが多くある。ルートはクラックの少ない右端をぬうように続いている。ルート上のクラックは、今は飛び越えるまでもない小さなものばかりだが、この暑さの中、今後、数週間の内に大きさも広がり数も増えてくるだろう。

Base campで渡されたランチのビニール袋には、パン、チーズ、リンゴ、スニッカーズとゆで卵が入っていた。C1でゆっくりした後、2時間をかけてBase campに戻った
下り道、フェントンは本来のコースを外れて、危なっかしく歩いていた。ガイドの田村さんが戻るように注意をする。クランポンポイントからの下りで落石を起こしている人もいた。依田さんがぶつかるところだった。ヒマラヤ登山だが、技術的にはあまりレベルが高くない人もいる。

食堂テント

9/6/2013 15:05 @ Base camp 個人テント



夕方。少し寒い。軽い頭痛もあるようだ。SPO2を測ると78%だ。呼吸法で90%台まで上げて、20分ほどそのまま続けた。すると調子が良くなってきた。
その後、テントから出て、食堂でトランプタイム。また大貧民だ。こんなにトランプをやっているのは中学校以来だろう。
夕飯はポークソテーだった。夕飯は、この間から、ラムチョップ、ビーフステーキ、ダックのソテー、ポークソテーと日替わりで変わってきた。よくネタを仕込んでいると思う。毎晩楽しみだ。

個人テントと物干し

9/7/2013 6:11 @ Base camp 個人テント



朝、時計を見て、土曜日だと確認した。すでに曜日の感覚はなくなっている。
6:30の日の出を前にして。すでに明るくなっている。テント内の温度は6度、これからぐんぐん上がってくるはずだ。テントの中についた露を、化学タオルで拭き、横になってKindleを読んだ。
今日は、髭をそり、シャワーを浴びる。手が荒れていたので、ハンドクリームをつけた。Fixed Ropeをつかむので手袋は必須だが、それでも手が汚れたり乾燥したりする。殺菌のジェルも原因の一つだろう。ささくれになりかけている。

ポーターへの割り振り
(8/30のポーターへの仕事の割り振り風景@サマ村のロッジ)

9/7/2013 18:24 @ Base camp 食堂テント



昼飯後は、またもやエンドレスの大貧民ゲームだった。今日のゲームにはシェルパニのヤンジーも参加した。結局、夕飯までトランプを続けた。まさにkilling timeだ。大虐殺と言っていい。


今晩はラッセルが夕飯にいなかった。サマ村に下って村民を集めて、喝を入れにいったのだ。ここ直近で、村人関連でずいぶん問題が発覚した。
まず、Base camp とクランボンポイントの間のFixed Rope が一本盗まれた。100m位のロープだ。そんなものを盗むのはヤク使いだろうと見当がつけられた。実際、村でも、あるヤク使いのところで、そのロープはすぐ見つかったようだ。
それから隊では、お金を払って、ゴミを村に下ろして処分してもらっているが、そのゴミが、登山道の道端に捨てられているのが発見された。昔のベースキャンプはゴミを捨て放題だったが、今はエコが徹底しているのでそんなことはしない。それより村への貢献も含めて、キャンプから運んで処分を依頼してる。登山道を汚すなんて自分で自分の首を絞めているようなものだ。他にもプジャに使う木が乱伐されていたりとかAltitude Jankeys 隊の荷物が紛失したりとか、いろいろあったようだ。AJ隊の隊長のフィルは怒り狂っていた。

後で聞くと、この夜のサマ村での話し合いはうまくいったようだ。先を考えることができる若い世代が議論をリードした。そして、ベースキャンプでしっかり仕事を完遂させるために、村から監視役を出すことになった。
ラッセルはこれまでも、サマ村にはもっと教育が必要だと言っていた。この夜は彼自身が先生役になったようだ。

ヤク
夕食後は、ヤンジーとシェルパの話をした。ヒマラヤには登攀のシーズンがあるが、シーズン外は暇なので、お酒ばかり飲んでいてアル中になるシェルパが多い。とか、この隊のサーダーのプルバ・シェルパは、シーズン外はヤクの世話で忙しいから、アル中になる暇がないとか。

9/8/2013 0:25 @ Base camp 個人テント



真夜中、小便で起きた。今回、Base campでもピーボトルを使っており、外に出る必要はない。いつもはまたすぐ寝るのだが、この日は小便の後も、目が冴えて眠くなかった。温度は5℃、湿度は88%。暖かったので、服を一枚脱いで、寝袋の中に入り直した。
東京に山小屋をつくるのはどうだろうか、とか 妄想は広がる。東京ヒュッテだ。
うとうとしながら、朝を迎えた。SPO2は85%で脈は77bpm。悪くない数字だ。

プジャ

9/8/2013 9:08 @ テント前広場


プジャへ備品をそなえる
登山の無事を祈る祭礼、プジャが始まった。8:30位から太鼓の音が聞こえてきて、9時には人々が集まりだした。私は祭壇の脇に高所靴とハーネスを置いて祈ってもらった。マットの上にすわると、ミルクティーが配られ、後はやることがないので、お坊さんのお経と太鼓を聞いていた。2時間の予定だ。この暇をどうしてくれよう。途中で、米が配られ、掛け声とともに米を祭壇に向かってまいた。そのうち、暇な観客どうしで米のぶつけ合いが始まった。ゆるい感じで、儀式は進んでいく。清められたお菓子やお酒も配られ始めた。

お酒を配る
天気は素晴らしく、マナスルがよく見える。暑くなりそうだ。

この儀式では、ツァンパと呼ばれる粉をこねて作った飾りつけが祭壇にあり、また、その粉で顔に印をつけたりと、粉がいろいろと活躍をしている。聞いてい見ると、このツァンパはそばということであった。そこで、そばアレルギーの鈴木君は、プジャの後半から、そば粉が近づかないように、戦戦恐恐としていた。
実際にはツァンパはそばではなく、はだかむぎの粉のようだ。


今回お布施は一人1000RPとした、サマ村からBase camp まで上がってきたお坊さんだが、この季節は年に一回のボーナスシーズンとなっているだろう

9/8/2013 19:07 @ Base camp 食堂テント



今日の夕飯はモモ。いわゆるネパールの餃子だ。
明日からC1stay-C2 touchの順応に行ってくる。一日目にC1に移動して泊り、二日目はC2に登った後、C1に戻ってもう一泊する。C1順応はそこで仕上がるはずだ。

食料としては、夕飯x2、朝x1、昼x1 が必要となる。食料の作戦の一つとして、昼の内にキッチンへ行って、フレッシュガーリックのかけらをもらってきた。時々ご飯に添えて、生のままかじる。いわゆる元気の素にする予定だ。


ハイキャンプでの食料は隊の倉庫にレトルト食品が山積みになっており、そこから好きなものをとってくる仕組みだ。中心となるのはネパールのスーパーに売っているものだが、カレーや豆煮等種類も多い。
しかしながら、私は日本から赤飯やカップヌードル等、いろいろと好みのものを持ってきたのであまり配給の食料は必要ない。そしてハイキャンプでの飯は軽くにしようと考えている。多少腹が減っても、内臓の負担をできるだけ減らす作戦だ。
実際体の中で最も酸素を消費するのは内臓だそうだ。脚と脳と心肺と消化器官で酸素のぶんどり合戦を行っている中で、わざわざ争いは激しくさせる必要はない。

調味料1
(豊富な調味料)

9/9/2013 8:29 @ Base camp 食堂テント


調味料2
リクエストに応えて、キッチンでは毎朝、日本米を使っておかゆをつくるようになった。
鈴木さんがもってきた醤油は、キッコーマン。なかなかいい醤油だ。その醤油、だしの素、ワサビやふりかけを使って、朝の一杯を食べる。いいね。
それから、朝飯のプレートが配られる。少し食べ過ぎかもしれない。

C1の道

9/9/2013 18:26 @ C1 テント



早い昼飯をBase campでとった後、12時過ぎに出発して16時にC1に着いた。
今日は寒い雨の中の行軍となった。お約束のように、フェントンはクレバスに腰まで落ちた。


C1では鈴木さんと二人でテントに同居する。夕飯は昼にキッチンで作ってもらったピザのあたため直しと、インスタントのチキンスープ。このスープはまずかった。ガーリックをひとかけらかじる。
鈴木さんと連携して、雪を集め、水は5L作った。効率的に仕事ができて、いい同居ができていると思う。ここでカトマンズで買ったMSRの水筒が役に立っている。日本では見たことがない4Lの水筒だが、売っているのだろうか。


明日は7:30の出発だ。5:30に起きて準備をする

c2への道

9/10/2013 18:43 @ C1 テント



今日はハイキャンプに泊って最初の夜である。Himexでは隊の備品として、テントにウレタンマット、寝袋、食器用カップと調理用のストーブがついてくる。隊の寝袋は暖かくぐっすりと眠れた。


他の隊のメンバーも張り切っているのだろうか。朝は、皆、早くから準備をして待っていた。そして7:15には出発ができる状況となった。

HimexのC1は他の隊よりも少し低い標高に設置されている。人数も多いので広めの土地を選んだようだ。そこから出発し、他の隊のC1を過ぎて、30分ほど登るとセラック帯の端に着く。そこからがセラック越えだ。

そこからC2までの途中、三か所ほど直登に近い狭いゴルジュを登る。難しい道ではないが、ところどころ雪が腐っていて歩きにくい。そこをFixed Ropeにユマールをかけて、がしがし登っていく。
そして12時前に少し広い棚に出た。日溜まりだ。そこで行動食を食べてC1に降りることにした。帰りのゴルジュは懸垂下降で降りる。私はルベルソc3を使ったが、8環を使っている人もいた。このFixed Ropeでは8環はキンクしやすいと思うのだが。


C1に戻ってカレーヌードルを作る。リフィルパックをビニール袋に入れて、半分を残して鍋に突っ込んだ。残りの半分は、明日の朝飯だ。
この日、もといけさんは3回吐いたらしい。高所の影響が少しずつ皆に出ている。

Base campを望む

9/11/2013 10:18 @ Base camp 食堂テント



C1で6:30に起きる。SPO2は74%、脈は60bpm。脈が落ちついており、悪くない。
朝飯はBase campに戻ってからとることにする。C1は7:30に出発した。天気は晴れ、BCまでは楽な道のりだ。
ダウンスーツはC1にデポすることにした。
Base campへの坂道を降りながら、ずいぶんキャンプが増えているのに驚いた。
Base campにつくと、朝食にはビールがでた。エベレストビールだ。まあ、たまには飲んでもいいんじゃないか。

9/11/2013 17:44 @ Base camp 食堂テント



遅い朝飯の後に、すぐ昼飯がくる。
午後はずっと弱い雨が降っていた。テントに戻ってKindleで「夏の扉」を読む。大分、昔の小説だが、実に面白かった。
一人で順応をしながら、待つ午後。
ラッセルが言っていた通りだ。高山では待つのが仕事である

fixed rope トレーニング

9/12/2013 6:54 @ Base camp 個人テント



雨がやんで、今日は露が少ないようだ。温度は6.5℃、湿度は95%。


今日は休養日だ。朝食後、Base camp近くの崖で、 Fixed Ropeの練習をした。ユマールで登って、懸垂下降でおりる。一人づつ、順番にこなしていった。


キャロラインは、ディッセンダ―としてシャントを持ってきた。シャントはストッパーだが、それで、微妙に調節しながら降りるのは難しい。それでもキャロラインはコントロールをして降りるつもりらしい。私が驚いてシャントを指さすと、本人はいたずらっ子のような顔で、私にウィンクをした。難しいことをしようとしているのに、自覚がないようだ。

キャロラインの番が来た。ユマールで崖を登る。そして、懸垂下降で降りるシステムを設定し始めた。だが、やはり、本人もどう設定したらうまくいくのか良く分かってないようだ。いつまでたってもセットができない。


ガイドも教えない、というか、そんな設定は教えられない。ずいぶん時間をかけながら、本人もあきらめたようだ。結局、普通に8環でおりてきた。降りてきてみると、サングラスをしているが、べそをかいている。降りてくるとすぐに消えてしまった。

9/12/2013 13:00 @ Base camp 隊長テント



昼飯を食べているとガイドの田村さんからメールが来ていると声をかけられた。衛星電話経由のメールだ。
隊長テントにあるマックがメールを読める共有のPCである。

それは、私の義弟の容態が悪くなっているというメールだった。私の出発前に、癌が発見されていた。出発後には準備の手術を行い、その後時間をかけて本格的な治療を行う予定であった。
衛星電話で話をきいたが、状況は良く分からないようだ。

いろいろな可能性を考えて、東京まで戻る手順を確認した。Base campまでのヘリの手配をすれば、カトマンズには翌日には着ける。そこから手配をして翌昼に飛行機に乗れば、その次の日の朝に東京に着ける。3-4日後には着けるというわけだ。ヘリのコストは40万円くらいということであった。

base camテント

9/13/2013 6:45 @ Base camp 個人テント



晴れ、朝から11℃もある。洗濯と干しもの日和だ。


再びメールが届いた。義弟が亡くなった知らせだった。昨日のメールはこういうことを予期した連絡だったのだろう。妹に電話をした。そばにいてやれなくて済まなかった。戻ってから今後のことを話すことにした。
自宅と両親にも電話をして今後の手続きを頼んだ。
ラッセルと話をした。彼も遠征の途中で親父が亡くなり、死に目に会えなかったそうだ。
夜になるとざらめ雪が降ってきた。