Road to Namche
都市・町・村の標高
カトマンズ/Kathmandu 2,317m
ルクラ/Lukula 2,860m
モンジョ/Monjo 2,835m
ナムチェ/Namache 3,440m
クムジュン/Khumjung 3,780m
ポルツェ/Phortse 3,810m
ペリチェ/Pheriche 4,240m
ロブチェ BC/Lobuche BC 4,910m
エベレスト BC/Everst BC 5,267m
3/28/2016 - 3/29/2016 @Kathmandu, Nepal
Sandstorm 今年のカトマンズは、世界的な異常気象の中で、春だというのに暑く乾いていた。
町中を、日本の春一番のような強風が吹き荒れる。
木々が揺れた一瞬の後に、路上の乾いた砂埃が、白く巻き上がる。
白い塊はカーテンのようにしなり、砂を叩きつけてくる。
歩いていると目も開けられない程だ。
カトマンズの、春の砂嵐なんて記憶にないよと、隊長のラッセルは言った。
この天候は、あまりいいサインではない。今年はモンスーンが早く来るかもしれない。
東西に流れるジェット気流と、その南側に位置するモンスーンの間には、好天気が挟まっている。春のエベレスト遠征は、その好天気の下で登頂を狙う。
4月、遥か南方のインド洋にあるモンスーンが北上するにつれ、エベレスト上空のジェット気流が押し上げられ、チベット側にずれる。その時から、モンスーンが更に北上し、エベレストが悪天候となる6月までの間が、春のシーズンだ。
例年より暖かいということは、終わりも早い覚悟をしなくてはならない。
👟 👟 👟
この時期のカトマンズは、登山者であふれている。
私は、エベレストの南側(ネパール側)から登るが、北側(中国側)から登るために、倉岡ガイドがカトマンズに来ていた。町中のVino Bistroで飲む。カジュアルで居心地の良いワインバーだ。そこに平出さんも参加した。
そして、翌日もこの店で飲んだのだが、今度は、昨年のK2遠征で一緒だったBilli Bierlingと偶然会う。カトマンズでは世界が狭い。
ちょっとしたニュースもあった。
今年は、ネパールの観光大臣が何人も変わったのだが、そのおかげで、去年の入山料が返ってきたのだ。
これは、驚きだ。エベレストの入山料は、政府の大きな収入源のひとつで、去年の雪崩の後でも、絶対に返そうとしなかった。
雪崩で皆が撤退を始めている中、政府は、登りたい人はどんどん登ってくださいと言い続けていた。これは政府が閉山を宣言してしまうと、入山料の返還の議論が始まるからなのだが。
その後、何度も大臣が変わる中で、方針も180度変わったのだ。
全くあきらめていた事なので、嬉しい誤算だ。まあ、ネパール政府は、大抵は登山者にろくなことをしないので、たまにはいいことがあってもいい。
3/30 @KTM
04:00 起床 毎度、フライトの日は早起きだ。
08:00 ルクラへ、ヘリコプターで飛ぶ。
ルクラは、世界で一番事故が多い飛行場の一つだ。崖の上にあり、周りの気流が不安定だ。そして、滑走路が短いので、傾斜をつけて、着陸は上り坂に、離陸は下り坂になるようにしている。
ぎりぎりの工夫なので、余裕がない。
飛行機の代わりにヘリで飛べば、大分リスクを回避できる。
今回のフライトでは、途中、ルート上の峠に雲が立ち込め、かなりの遠回りで回避した。通常は45分のフライトだが、1時間位かかった。
ルクラでは、Namaste Lodgeに宿泊する。お茶を飲み、Lukula
飯を食べ、荷物の到着を確認した後、散歩をした。
商店街を散歩し、大きめの傘を買った。傘は運搬には不便で、どこでも買えるので、最後の町で買うといい。
私の買った傘はレインボーカラーでよくめだつ。その傘を見て、同じチームのメンバー達も、傘を買いに行った。
皆、レインボーの傘を買ってきた。チーム・レインボーの結成だ。
アメリカ人のグレッグは、チーム・ゲイプライドだと言った。レインボーは、ゲイのシンボルカラーなのだ。この呼び方は、皆で却下した。
曇り空の中、お茶と散歩で1日が終わる。この町の標高は2,860m。ここから5,200mのベースキャンプまで、10日間のトレッキングが続く。
オランダ人のヤコと同室になる。大きい体格で、アスリートっぽい雰囲気だ。彼とは、この後のトレッキング中、ずっと同室となった。彼がいびきをかく人でなくてよかった。
3/31 @Lukla
EBC Trekking Route
07:00 起床
08:00 トレッキングへ出発。エベレスト街道は、村々をつなぐ生活道路であり、この地方の基幹街道だ。自動車こそ走れないが、十分整備がされている。この日は、それほどアップダウンもなく、快調に歩けた。
この日は、小雨が降ったが、大きな傘のおかげで快適にすごす。Mani Wheels - Hardeep&Tracy
もっとも、この日以降は、雨が降らず、傘は要らなかったのだが...
11:30 Phakdingでランチ。街道沿いの食堂だ。
15:00 Monjo着 Monjo Guest Houseに泊まる。1日目の行程としては長めだ。
我々のチームは、クライマー5人、ディスカバリーチャネルの撮影隊3人、ガイド・ドクター・隊長が1人づつ。そして、行きのトレッキングだけ同行するトレッカーが3人いた。
この他には、シェルパやキッチンスタッフとキャンプで合流する。
クライマー5人の隊は、エベレストの隊の中では大きいほうではない。そして、TVクルーを連れている隊も珍しい。隊長のラッセルは、いろいろ工夫をして、経済的に遠征を成立させている。
Monjo この日の行程は、トレッカーの1人、イギリス人のグプリには辛かったようだ。かなり遅くなってから宿に着いた。しかし彼女は、この後の日程で、ゆっくりながらも、最後まで音を上げずに、BCまで歩き通した。
4/1 @Monjo
Hardeep on the bridge
05:30 起床 良く寝た。ちょっと早起きだったので、朝のストレッチをする。谷間は日が差すまでまだまだ時間がかかる。少し寒い。
08:00 出発。良く晴れている。登りの行程なので、歩いているとすぐに暑くなる。
ここら辺からは、日本の金比羅山の語源となったクンビラ山がよく見える。
あの下に、クムジュン村やナムチェの町がある。
09:30 エベレストビューの丘に着く。少しエベレストが見える。ここまで、快調に歩く
10:30 ナムチェに到着。楽勝だね。Namche
今年も、Kalapathar Lodgeに泊まる。大きく快適なロッジだ。
今日も順調に歩いた。そして、ナムチェを散歩する。 ネパールは犬にとっての天国だろう。沢山の犬が放し飼いになっていて、皆、いきいきとしている。
牛も町中を歩いている。
タムセルクの山が美しい。
👟 👟 👟
夕飯後にカフェ&バーのDanpheに行く。Tracy, me, Jaco, Hardeep and Richie
昨年は、10人くらいで来て、6時間の間、テキーラ&ウィスキー祭りをして、店中の酒を飲み尽くした。その時のメンバーの内、三人がここにまた来ている。ガイドのリッチー、ドクターのトレイシーと私だ。バーテンダーは、私のことを覚えていた。
去年は、祭りの後に、ふらふらになりながら、なんとかロッジの裏口にまわり、建物の中に入ったが、部屋への途中で力尽きて、ロッジの廊下で眠ってしまった。Shelpa beer
今年は大人しく普通に乾杯をする。今年からShelpa Breweryという地ビールが出たのだ。ケルシュタイプのコクがあるビールで、なかなかうまい。
4/2 @Namche
07:00 起床 晴れだ。暖かい日。パルスオキシメーターを測ってみた。93%/65bpm。まだまだ余裕だ。
午前中はロッジのラウンジでまったりする。
👟 👟 👟
隊長のラッセルがメール仕事をしていると、30歳位の太めで暑苦しそうなアメリカ人が近づいてきて話しかけた。
(アメリカ人) お前はどこまで行くんだ?俺は(街道の一番奥の)ベースキャンプまで行くんだぜ。 ← 大きな声で、自慢げに話しかける。ラウンジにいた我々は当然、注目した
(ラッセル) 俺もBCだ。 ← ラッセルは、PC作業をちょっと止めて、短く答えた。
(アメリカ人) お前もかよ。行ったことはあるのか? ← 我々 笑いをこらえる
(ラッセル) あるよ。 ← これまた、短く答える
(アメリカ人) お前の名前は?
(ラッセル) ラッセルだ。 ← 我々は彼らをガン見していた。彼はラッセルを知っているのか?
(アメリカ人) そっか、気を付けて行けよ。BCで会おうぜ、ラッセル! ← 彼は、余裕を見せて返事をした。我々は、こらえながらも、爆笑する
👟 👟 👟
午後から。丘を登り、クムジュンへ移動する。Chorten @ Khumjun
途中から霧に覆われて、涼しい行程となった。
クムジュンの村はクンビラ山の麓だ。チョルテン(仏塔)には、昨年の地震でひびが入っていた。
小学校の脇の道を通り、広場に出たところにある、Tashi Friendship Lodgeに泊まる。
最強のシェルパ、プルバの家だ。彼は我々の隊のメンバーで、21回のエベレスト登頂は世界一の回数だ。Momo cooking
ディナーは、モモを食べる。蒸しと揚げの両方だ。
ネパール料理の中では、ダルバートと並んで鉄板メニューだね。当然、うまい!
4/3 @Khumujun
Thamserku
06:00 起床。今日は休息日なので、二度寝した。
午前中にエベレストビューホテルに散歩。宿から45分かかる。
タムセルク、カンテガの山はよく見えたが、エベレストは雲に隠れていた。
ホテル名物のカツ丼は食べなかった。まだ、和食が恋しくなるには早すぎる。
帰りの道では、ダンフェが道を横切る。ネパールの国鳥。Khumjun village
鮮やかなレインボーカラー。雉の仲間のようだ。足が速かった。
クムジュンの村は、屋根が緑で統一されている。丘からは、素敵な眺めだ。
Gomba14:00 クムジュンの僧院で、16人の僧によるスペシャル・プジャが行われた。
プジャはラマ教の儀式で、安全登山を祈願してベースキャンプで行うものだが、今回はディスカバリーチャネルの資金力で、撮影用の特別なプジャを僧院で行った。
我々も参加することができたのだ。ラッキーだ。かなり迫力のある祈祷だった。
夕食は、パスタと鳥の唐揚げ。外人はフライドチキンが大好きだ。メニューを聞いて盛り上がる。
その後、隣の宿に移動して、飲みながら、クリケットの試合のTVを見る。はっきり言って、クリケットのルールがよくわからない。我々は早々にテレビに飽きてしまった。
ケニア人クライマーのハーディープが一所懸命、ルールとか選手の説明をしてくれた。しかし、彼を残して、皆、途中で引き揚げてしまった...
4/4 @Khumujun
Andreas @ Mong-la
06:30 起床。軽くストレッチ
08:10 出発
09:20 Mong-la着 1時間ほどお茶。絶景の峠で
ティータイムだ。
大きな鳥が、沢山、頭上を舞っている。
Phortse11:30 ポルツェ村着。ここでも、Tashi Friendship Lodgeに泊まる。こちらはプルバの親戚がやっているそうだ。彼は我々のリーダーの一人なので、毎年、ここを選ぶ。
ポルツェは、南西向きの丘陵に立つ、シェルパ族の静かな村だ。
我々がロッジに着いて直ぐに、霧が上がってきた。やがて雨になった。
👟 👟 👟
ダルバートの夕食。その後、ドクターのトレーシーとケニア人のハーディープの3人で、ビールを飲んだ。この3人のメンバーに、ガイドのリッチーが時々参加をして、飲み会となる。
なんと、残りの3人のクライマーは、酒を飲まないのだ。
ドイツ人のパイロットのアンドレアスは、以前に体調を崩して以来、酒を断っている。
アメリカ人の宣教師のグレッグは、宗教上の理由で、酒を飲まない
オランダ人のヤコは、エベレスト登頂の願掛けで酒を飲まない
おいおい、珍しい面子だな。酒に強いと高所も強い!という俗説があるが、皆、大丈夫か。。。
4/5 @Phortse
Team Rainbow - Photo by Jaco
06:30 起床。良く晴れた朝となった
08:00 出発
谷合を縫うように続く道を歩いていく。アップダウンはあるが、快適な風もあり、縦走をしているようだ。
タムセルク、カンテガ、アマダブラムと続く対岸の山々が美しい。
ハーディープは、しきりに、私がこの後予定しているTrail and Ama Dablam
K2遠征について聞いてくる。どうやったら登れるのか、準備は何が必要だ?、とかだ。
「おいおい、今はまだエベレストのベースに向かっているんだぜ。山は女性だから、彼女の前で他の女性の噂をしてると、すねちゃうぞ」と、教えておいた。
10:10 パンボチェ。Gomba Lodgeでティータイム
11:00 Worshyo lodgeでランチ。ヌードルとポテト。ここで1時間過ごす。
Snowland lodge - photo by Greg14:30 ペリチェ着。Snowland lodgeが建て替えられて、
新しくなっていた。きれいで気持ちがいい建物だ。
シャワーを浴びる。すっきりした。
ここでは、Ncellの電波が入らないので携帯が使えない。そのかわり、Wifiが繋がっていた。200MBまで15時間の接続で、500RPだ。(1RPは約1円)。場所を考えるとすごいことだ。
酒飲み3人は、ロッジの食堂でウィスキーを飲む
宣教師のグレッグは、Divinityという自家製の白いヌガーを食べていた。プラスチックのケースに入っている。彼の大好物で、これまでも時々食べているのを見た。今日は我々に、これがいかに美味しいのかを、長い時間をかけて丁寧に説明してくれた。しかし、決して分けてはくれなかった。
それは、心が狭いのではないか... まあ、別に食べたくはないが。彼は、お爺さんであり、本能に忠実に生きているようだ。
4/6 @Pheriche
Mt.Taboche and Cholatse
07:30 起床。
08:00 朝食。
08:30 洗濯
いい天気で、休養日だったこの日は、数少ない、トレッキング中に洗濯ができる日だ。早速、シャツや下着を洗い、道端に干す。
09:30 近くの丘に高度順応で登りに行く。頂上は5040m。1,200m位の高度差になる。
11:30 頂上に到着。100m up/10分なので、快調なペースだろう。
12:30 ロッジに戻る。帰り道で、IMG隊に参加している日本人女性と会ったので立ち話をする。南谷真鈴さんだった。彼女は帰国後、最年少記録で、メディアで取り上げられていた。
👟 👟 👟
ペリチェにはHimalayan Rescue Association(HRA)のPheriche
病院がある。病院といっても、小さな村の分院のサイズなのだが。
昨年の雪崩の後は、沢山の傷病者がヘリでここに送られて、大変、お世話になった。 ベースキャンプでは、我々の限られた医療物資では、止血にさえ困るくらい包帯が不足していたのだ。翌日、奇跡的に確保できたヘリで、重傷者をここに送ることができた。
毎年、ここで高山病のレクチャーを受けて、寄付をするのが恒例となっている。今年は、IMGと合同でレクチャーをしてもらった。
暇な時間ができた。オランダ人のヤコは、沢山のダイスを持ってきたので、皆でLiar Diceをした。この日以降、今回の遠征では、このLiar Diceが隊のスタンダード暇つぶしゲームとなった。
以前の遠征では、大貧民や、ポーカーで遊んだ時もあったが、このLiars Diceはなかなか良い。
4/7 @Pheriche
Ama Dablam and Kangtega
06:00 起床。ストレッチ。ハーディープは背中を痛めたのか、痛そうにしていた。
08:00 出発。ここからロブチェのキャンプまではいくつかルートがあるが、丘の上に通っているルートを辿る。
縦走路のように、風が吹いて快適なルートだ。途中でメンバーがばらける。
そこから、私とヤコは丘を下り、川にかかった橋を渡る。そして今度は、急坂を登って、メモリアルと呼ばれている丘に着いた。ここは、エベレストで亡くなった登山者を祀った墓標が沢山ある。
メモリアルは風が吹いて、美しいところだ。Yaku @ Memorial
しばらく皆を待った。
他のメンバーは、他の道を選び、丘を下らずにトラバースをしてきた。川を渡るところで苦労をしたそうだ。
そこから近くのロブチェのキャンプ場に向かう。
10:30 ロブチェ・キャンプ着。皆も続々と着いた。
しかし、昼が過ぎてもハーディープがやってこない。
ランチは終わった。ガイドのリッチーはメモリアルの方へ探しに行った。
なかなか見つからないので、私はドクターのトレイシーとロブチェの村の方へ探しに行った。上流へ40分程、歩いたところだ。
しかし、そこにもいなかった。モレーンの丘を登り、氷河の上も探す。
どうしようかと話していると、見つかったと無線が入った。
彼は2時過ぎくらいに、キャンプへやってきた。やはり、皆を見失い、一度、かなり上流まで行ってから、また戻り、川を渡ってやってきたそうだ。人騒がせな。
👟 👟 👟
夕食後は、恒例のおしゃべりタイムだ。
アフリカの原住民は犬の言葉がわかるそうだ。そしてイギリス人の科学者が調査に入った。
科学者は、原住民は犬の言葉が分かるのではなく、犬の態度で判断をしているのかもしれないと考えた。
そこで、イギリスで犬の鳴き声を録音し、その音だけを原住民に聞かせる実験をした。何を言っているのか当てるのだ。
実験は成功だった。その実験では、原住民は、犬の鳴き声だけで、犬が怒っている、腹が減っている、寂しがっているというのを、当てることができたそうだ。
我々はそんな話を聞いて、原住民はアフリカの犬だけでなく、イギリスの犬とも会話ができるんだね。人は、国によって言語が違うけど、犬はDNAに埋め込まれた共通の言語で話しているのかな?なんて話をしていた。
しかし...
今考えると、犬の鳴き声を聞いて、怒っているとか、寂しがっているとかなら、私でもわかるのでは?
高所だと、頭の巡りが悪くなって、こんな与太話も感心しちゃうのか?
この日の夜に測ったSPO2は、86/73。そんなにおバカさんじゃないはずなんだけど。。。
👟 👟 👟
ロブチェのキャンプでは、テントに寝る。なぜかテントに入ると、懐かしくなってきた。気分も落ち着く。これは、病気だな。テントが懐かし病。でも寒い。
4/8 @Lobche camp
06:30 起床。今日は休息日なのに、早く起きた。-5℃位。雪もない吹きっさらしの野原は、結構寒い。
午前中は、ストレッチや軽いトレーニング、午後からは、暇つぶしのダイスゲームをする。
夜になると満天の星空。そして、底冷えする寒さ。
4/9 @Lobche camp
EBC
06:30 起床。
08:00 出発。ゆっくり目で歩く。途中、ゴラクシェプの村で、Ncellのインターネットチェック。そこには携帯の中継アンテナがあるのだ。
11:30 ベースキャンプに到着。氷河の外側に沿って、EBC
細長く広がるEBCだが、我々のキャンプは最も下流に位置している。一番上流のキャンプまでは、歩いて一時間くらいはかかるだろう。
そして今年のキャンプは特に雪が少ないようだ。やはり例年以上に暖かいのか。
ポーターが運んでいたダッフルバックの荷物を受け取り、荷解きをする。テントを整備して、今日は終わり。
トレッカーのメンバーはここがゴールだ。彼らはここに数日泊まり、そしてカトマンズへ戻る。
21:00 消灯 手が寒い。手袋をして、kindleを読む
4/10 @EBC
Icefall
06:30 起床。既に明るいが、谷間のため、まだ日は差していない。-10℃くらい。
07:40 日が差し始める。急に暖かくなる。
09:00 ベースキャンプのツアーに出かける。Base camp tour
我々が最下流から上流に向かうと、IMG、Asian Trecking、AC等、沢山のオペレーターのキャンプが続いていた。7summitは一番上の方だ。今年はクライマーは200人くらいいるらしい。もちろん皆が登るわけではないが。
Dining tent - Andreas, Greg and Jaco
今日はいい天気だ。洗濯とシャワー日和。終われば昼寝。平和な日となった。順応も問題ない。
我々のキャンプの位置は、アイスフォールから吹き下ろす風の通り道になっているらしい。多少、風は強いが、服が良く乾く。
そして、今年は私のソーラパネルを二枚直列から三枚直列にShelpa tent and Storage tent
増やしてみた。充電も強力だ。快適なベースキャンプになりそうだ。
ディナーはオージービーフのステーキ。肉だとやっぱり気分が盛り上がる。会話もうるさいくらいだ。
そして、食後はダイスゲーム。
21:30 消灯。SPO2は、82/64。まあまあかな。
4/11 @EBC
Gracier Pond for water
05:30 小便で起きる。暖かいので、ピーボトルは使わず、トイレに行く。6,000m位に厚い雲が垂れ込めている。既に-2℃。霜も降りない。今日は、雪崩日和か。
07:40 日が差し始める。急に暖かくなる。
天気が悪いので、予定していたカラパタールへのハイキングは明日にする。
明後日からのLobcheでのローテーション(順応登山)の支度をする。
4/12 @EBC
Everest view
07:00 モーニングティーで起こされる。熟睡していた。
‐6℃。
09:30 ハイキングに出発する。カラパタールの頂上まで、雪がなかった。
頂上の風も気持ちいい。岩場で、昼寝をする。
普段よりエベレストが大きく見える。黒いピラミッドのレディーは、早くおいでと、手招きをしているようだ。
ベースに戻り、昼食はラザニアだった。腹減りでおかわり三回。Kitchen
午後にHimarayan Rescue Assciationのタチアナが遊びに来た。ERの女性ドクターだ。なかなかの美女。ディスカバリーの撮影隊の連中がざわつく。
この後も彼女は、我々のキャンプによく遊びに来た。
この日はEverest ERと書いてあるキャップを売りにきたので、30ドルで買った。寄付みたいなものだ。
夕方、我々のキャンプに中東系の顔立ちの不審者が現れた。トレッカーぽい雰囲気だったが、キャンプに入ってきて、メンバーの数とか登頂日は何日かとか、へんな質問ばかりする。柔らかく追い出した。
夕食はダルバート。キッチンはベテランのネパール人シェフが揃っている。なかなかうまい飯だ。ワインも飲んだ。
21:15 消灯。SPO2は82/70。ワインのせいで脈が少し速い。