Diary of 5/31-
Jungle March

papua jungle

11/27/2014 @Denpasar, Bali



  まず登山隊はバリ島に集合した。ここから、パプア島のTimikaまで旅客機で飛び、乗合チャーターのセスナ機に乗り換え、Sugapaまで飛ぶ。
 午前1:50発のTimika行き。なんでこんな真夜中の時間設定なのか分からないが、結構な人数が乗って、朝6:30にTimikaに着く。

timikaTimika Airport Timikaは世界最大の金の鉱山であるGrasberg mineの町だ。この飛行場から鉱山は100km程北にあるが、この地方一帯の経済・政治・治安は鉱山を中心に動いている。観光客などいないし、登山者など邪魔者でしかない。ヘリも鉱山向けのサービスであり、登山者はおまけだ。またFree Papua Movementという独立運動系のゲリラ活動があり、それに対して鉱山の私設の警備員やインドネシア軍が警備をしており、ピリピリした雰囲気のところだ。

 我々は、飛行場の隣の食堂で散々待たされた。やっと、11時にセスナ機は飛び、それから1時間弱で、山岳地帯の町Sugapaに着いた。
 この飛行場では、沢山のバイクが我々を待っていた。いわゆるタクシーがわりだ。motorcycle
ここから、山への入り口となるSuangamaという村までバイクで移動する。
 スガパはなかなか大きな町で、多くのコロニアル風の木造の建物が建ち、薄い水色のペンキが美しかった。
 スガパからの道路は急激に下り、また登っていた。乾いた土と小石の路面だ。曲がりくねった下りでは、勾配が30度近くもあるところを、二人乗りのバイクが時速50kmで走っていく。正直、この二人乗りが、この旅でもっとも恐ろしい時間であった。

road block通せん坊 スガパの町を抜け、しばらくして小さな橋にさしかかると、地元民のブロックに出会った。通せん坊だ。この橋は俺たちが作った。通るなら金を払えということらしい。弓とか多少の武器を持っているようだ。我々のネゴシエーターが出て、交渉にあたる。
 ここら辺の道では、よそ者が来ると、ブロックをしてお金をとることは珍しくないようだ。みな素直に止まり、交渉の決着を待っている。
途中、地元民がバイクで通りかかると、みな避けて通してあげる。彼らはブロックされないのだ。

 交渉は、話をしているのか、ぶらぶらしているのかわからないまま、20分くらい経ったところで決着して、バイクが動き出した。500万ルピー(5万円位)の要求から始まり、300万ルピー(3万円位)で決着したそうだ。7-8人のグループだったので、一人当たり4000円くらいか。

 また20分位たったところで、ブロックにあった。今度は4,5分で動き出したので、大した要求ではなかったようだ。この地方の村によっては、鉱山の関連で何十年にも渡って補償金が入るので、人々が働かなくなってしまった村があり、結果として、そんな人々は、たかりのようなことしかできなくなってしまったそうだ。


Suangama villageスアンガマの村 更に20分位でSuangamaの村に着いた。ここはDani族の村だ。スガパを含めて、この地方は主にMani族の土地となっているが、ここだけが違う。
 ここは山道へ入る前の最後の村で、ポーターもここから調達するが、Dani族とMani族のバランスをとる関係から、スガパからも多少の人数を調達する。インドネシアは民族という意識が、生活と切り離せない土地柄だ。

 スアンガマの村には、丸壁に屋根を葺いただけの単純な家が多く、Dani tribe
豚と犬が放し飼いになっていた。我々はこの村の奥にある木造の建物に泊まり一晩を過ごす。

dinnerインドネシア人のジェームスが料理を担当する。5時から支度を始めて7時に夕食になった。野菜炒め、鶏肉の甘辛炒め、海老の炒め、イカの墨煮。妙に豪華だが、炒めものばかりだ。味はなかなかよい。

 夜になると、村おさのウィリアムが尋ねてきた。あまりしゃべらないがfootsBig foot!
ニコニコしている。彼は村に三人のワイフがいて、村の外にも何人かのワイフがいる。
 ワイフをもらうのには、豚が5頭ほど要るそうだ。一頭辺り800ドルなので、一人ワイフを持つには40万円程かかることになる。
 彼の足はつくりがおおきく、張りがある。裸足で何世代も歩いてきた歴史なのだろうか。
2130 虫の声がうるさい。寝袋に入った。移動が続いて、長い一日だった


view from suangama

11/28/2014 @Suangama village (2600m)



昨晩の遅くに、なべ底が抜けた級の豪雨が降った。日本で言えばゲリラ豪雨が二時間続く感じだ。
0630 起床。朝食はナシゴレンと卵焼き。この後、数日の朝食は、この組み合わせだった。

porter recruiting 今朝はポーターの手配がある。村中の人が集まってきた。直ぐに村の仕切り役が手帳を見ながら、一人一人名前を読み上げる。仕切りはスムーズに進んでいった。
 このポーターの仕事は、10日間をかけてベースキャンプと村の間を往復する。報酬は一人当たり600~700kルピア。6万から7万円だ。それに食事がついてくる。
 政府から道路の補修や橋の工事の仕事があるときは、一日当たり5ドルの報酬。それと比べると、この遠征で6~7ヶ月分の報酬になる。誰もが参加したい夢の仕事だ。

0900 出発だ。村の裏から急な階段を抜けて、段々畑を横切り、wood bridge倒木の道
ジャングルに入っていく。ここからは、泥と木の根との戦いだ。
 このために日本が誇るスパイクブーツ、ニューマイティブーツⅡNSを用意してきた。 
mud and river川なのか道なのか どこもかしこも泥の道だ。少し沈むところ。深く沈むところ。膝下まであるブーツなので、多少沈んでも関係ないが、くるぶしより深くなると泥に足をとられてしまう。
 ブーツの中に泥が流れ込むほど深く沈むのは避けたいが、どこまで沈むのかは一見しても分からない。足取りは丁寧に、分からないときは浅そうなところを選んだり、木の枝を踏みつけたり。

 木の根は何重にも絡んで、踏みつけると思わぬ方向へ足をスリップさせる。mud road木の根なのか泥なのか

 倒れた木の幹を、バランスをとりながら渡って進んでいく。いろいろな方向から道に突き出た枝が足に刺さりそうになる。のこぎり椰子の葉は道にかぶさり、慎重に避けないと体に切りつける。
 
 森は深く、いたる所にトラップがある。一度バランスを崩すとトラップのコンボが発動する。木の根を踏んで、右に滑って、足を踏ん張るとそこがそこが崩れて、足が泥にはまり、前につんのめって、木の枝をつかむと泥だらけになるという仕掛けだ。



big bridge立派な橋1030 立派な橋だ。ここはまだ村に近く、こんな工事ができる。
この先は、簡単な一本橋や二本橋。今日は、蒸し暑い中、汗で服がびしょびしょになった。

1200 小屋の近くの橋のふもとで休む。そして午後になると雨が降ってきた。こんどは雨で服がびしょびしょになる。

1500 キャンプに着いた。今日は6時間の徒歩。ガイドのレイモンドは、このペースは、通常よりかなり早いと言っていた。

 村人や遠征隊が整備をした土地が、キャンプ場として、ベースキャンプまでのrivwersideまだまだ余裕
道沿いにいくつもある。テントを張ることができる開けた土地と、ポーターが布を被せて小屋にするための木の骨組み、そして水場が備えてある。
 

 ここは現地の人にリバシダ(Riverside)と呼ばれるキャンプ場だ。

 テントはイギリス人のガイと二人で共有することにした。濡れた服を着替え、テントに入り、寝袋にくるまって夕食まで仮眠だ。
 濡れた服は寝袋に入れて乾かす。湿った服でいっぱいになった。

dinner curry1900 夕食はチキンカレー、チキンナゲット、チキンスープ、モンゴリアンビーフと白米。美味しいが、メニューがチキンに偏っている気がする。
 テントに併設されたタープの下で、ご飯を食べる。ご飯の途中で、虫がカレーに突入する。この日は、2度、虫の突入があり、そのたびにカレーからすくい出した。ここでは虫を気にしていては、ご飯にならない。

 トイレはない。大便にもきまったところがあるわけではない。みなキャンプの奥に行って、草むらで用を足す。ごみも散らかしっぱなしだ。これは、一昔も二昔も前の山のマナーだ。いつかここでも、マナーが変わるのだろうか。

wood birdge体幹力が試される橋

11/29/2014 @Riverside camp (2300m 程度?)



0630 起床 まだ乾いていないパンツ、タイツ、ズボン、シャツに着替える。実に気持ち悪い。
 朝食を食べ、パッキング。

0730 出発準備完了だ。陽射しも強くなり、シャツが乾いていく。
 スガパから雇ったポーターが一足先に出発をしたが、いくばくかの荷物を残していった。スアンガマのポーターが、呼び戻しに行く。

 荷物の割り振りをして、最後にお祈りの時間だ。これは毎日の出発前の日課だ。どうやらクリスチャンのお祈りのようだ。2分程度、なぞの言葉が続いた後、「ハレルヤ、アーミン」といって、お祈りが終わる。みな腰を低くして、黙祷をしている。我々もそれに習った。


forestなんか既によく分からない道0830 やっと出発だ。昨日以上に道は狭く、坂は急登で、森は深い。ガイドのレイモンドは今日がもっともつらい道だと言っていた。

 午前は陽射しが強く、森は蒸し暑かった。服が汗で濡れていく。登り、下り、登り、下り。まったく平坦な道はない。一本橋をわたり、また登る。



1130 高台に出てランチだ。配給されたビスケットやチョコレートを食べる。30分ほどゆっくりして、また出発した。


 午後になると、道ははっきりした登りが続いた。つらいながらも、高度をどんどん稼いでいく。bad road木の根 木の根 木の根
 途中、3m程度の短い3本橋があった。イギリス人のガイが渡るとき、その内の一本が折れ、彼は落ちて挟まり、強く腿を打った。半分、腐りかけた木の橋も沢山ある。

15時くらいから、いよいよ皆、疲れてきた。歩みが乱暴になり、泥を跳ね上げ、スリップが多くなる。


inda tsigaインダ・トシーガ1700 キャンプに着く。インダ・トシーガ(Inda Tsiga)と呼ばれるキャンプ場だ。
 きれいな水の川を渡ってすぐのところにある。川でブーツを洗い、それから泥はねだらけの半ズボンを洗った。この半ズボンは、ポーターの小屋に吊るして乾かしてもらうことにした。



 手をあらっても、爪の間の泥はとれない。細かい粒子でガムのようにくっつき、洗っても落ちないのだ。そして泥はそこらじゅうにある。とってもきりがないのだ。あきらめた。ごはんの前には、ハンドウォッシュで手を洗うだけだ。

 いいニュースは、足に豆ができてないことだろう。utsubo kazuraうつぼかずら
長靴でハードな移動をすると、すれて豆ができやすい。今回はフィット性が高いブーツに加えて、通常冬山ではくようなメリノウールの中厚のソックスをはくことにした。蒸れることもなく、クッションも効いて快適だ。

2000 ディナー。豆のスープ、ソーセージ、チキンナゲット。高度のせいか、白米がべちゃべちゃだ。いまいちだった。
 飯のときに、他のメンバーから、きょうはつらかったという声が出た。歩いているときにはそんなそぶりはなかった。なかなか強いメンバーなのだろう。

 ポーターの小屋から、歌が聞こえてくる。皆が合唱をして、舟歌のような歌をうたっている。お腹が一杯で感謝をしている歌だそうだ。
2300 Kindleを読んでから寝た。まだ歌は続いていた。